根無し草

左足の調子が悪い。膝から下が怠くて冷たくて夜中に攣る。疲れても攣る。5年くらい前に足場から落ちたときのケガが原因のような気がする。ある程度トシがいってからのケガは治るんだけど完全には治らないんだろう。鍼を打ってもらってちょっと持ち直すものの、たぶんこれは良くならないんだろうなぁ。いわゆる寒いと疼く古傷である。むかし、膝に矢を受けてしまってな。

今月末から現場が始まるのでまた忙しくなる。いまは現場前のナーバスになる時期。年末年始を含めて休日は休んでいるが仕事が頭から離れない。初夢も仕事していた。

合間を縫って実家方面の所用を片付けたので、しばらくはこれで安定するといいな。ちょいちょい顔を見に行かねばならないだろうけども。あ、そうすると夜は空くな。人生の季節的に親に手のかかる時期なのでここ何年かは頻繁に帰省していたが、そういう事情だと夜に出歩くわけにもいかず地元の友人達には全然連絡していなかった。そろそろ実家がなくなりそうだし、ここらで友人達と会っておきたいものだ。

実家がなくなるというのも不思議な感覚である。田舎にきょうだいの誰も残っていないので親がいなくなればよすがもなくなる。もちろん拠点にしていた家も手放せばなくなる。核家族の終焉とでもいうのか、親世代が高度経済成長を背景とした核家族サラリーマン世帯で、そこで育った我々の世代だと珍しくない光景なんだろう。分裂した家族構成が成長して弾ける実のようにまた分裂して、と繰り返す。または弾けないでそのまま消える実もある。次々と増えては消える根無し草のような様はクラウドのようだ。

仕事したくなーい。最近しみじみ思うのが、なんでこの仕事はこんなに面倒くさいのか、である。だから仕事が成り立ってるんだけども。それにしてもすんごい面倒くさいのよ。仕事だからやるけどさ。そろそろ本格的に仕事に飽きているのかもしれない。今さら別のことをイチから始めるのはキツいとか給料だってイチからやり直しになってしまうとか退職金欲しいしとか、現実的な諸々があるので辞めはしないが、ちょっと違うことに逃避したい気分はある。というか、仕事というものは常に辞めたいものである。

現場の準備して現場やって現場の後始末をしてまた現場の準備をしての繰り返し。その他に社内のいろいろが挟まってきて出世したらしたで仕事の幅は増えるわ下の面倒はみなきゃならないわ、かといって社内政治の細かいことには興味持てないわ、この調子であと10年は頑張らなきゃならんのか。もしかして我々の世代は70歳まで働けとかいわれるのか?

もーやだー。脳内の幼稚園児が駄々を捏ねるのである。もーやだー。
そんな年明けである。

年末年始に食べたもの

年末年始の御馳走の記録である。後から見返すと手巻き寿司セットの品数が去年から減っているなど細かいことがわかるので便利なのだ。

12月31日大晦日

夜は腹いっぱいになることがわかり切っているので、昼に年越し蕎麦。

夜はすき焼き。

肉400g、白菜1/4。

1月1日元旦

朝は正月っぽいもの。

里芋の煮っころがし、牛蒡を出汁で煮て、ひき菜の大根は省略。蒲鉾と伊達巻のセットと昆布巻きと数の子は買った。

夜は手巻き寿司。

いつもの生協の手巻き寿司セット。米をふたりで3合くらい食べた。主に熊が食べていた。

1月2日

朝昼兼用で餅を片付ける。

夜はいつものビアバーでビール。年始だけは日本酒も出すお店なのである。

次の日からはよんどころない事情で帰省して、その間に何故か炭水化物ばかり食べる羽目に陥り、むかっ腹が立ったので帰りの横浜駅でデパ地下で小さいオードブルを豪勢に買いこんで家でゆっくり味わって寝た。

葉山の森戸神社と名島の鳥居

あけましておめでとうございます。

海の鳥居の第2弾である。今回は逗子・葉山の森戸神社。本当は年末に行ったのだけど、絵面が正月にふさわしい感じだったので年明けに記事を上げることにした。

京急逗子葉山駅からバスに乗って森戸神社前で降りる。

まずはお参りしてご挨拶しておく。そういやちょっとオカルトな話をするけど、前に上総一ノ宮の玉前神社に行ってから妙に悪縁が切れたような気がするんだよね。具体的には勤め先のことなので詳細は省くけども。そういうこともあるのかないのか、気のせいでもそんな気がしただけでまあいいか。

神社の裏手にはこんな海が広がっている。

拡大するとこう。鳥居とともに富士山がよく見える。目出度そうな絵面である。

更に拡大するとこう。近くの名島(菜島?)という名の岩礁に鳥居が建っているのである。

海に向かって建つ龍神宮遥拝所から見ると、三つの鳥居が一直線に並んでいる。有難い感じである。

その傍らに源頼朝が褒めたという千貫松があった。ぱっと見、樹齢千年近くには見えないけども、そうなのか?

森戸神社は割とアクセスがよくて楽勝気味で時間が余ってしまったので、近くの遺跡も回ってみることにした。

JR逗子駅から五分の熊野神社である。

参道を上るとすぐに社殿がある。

ほうほう、古墳時代末期の遺跡なのね。

山というか、崖と言ったほうが近いような急斜面を登ってみると、穴がぽっかり口を開けていた。

おっ、ちょっと怖い。深淵に覗かれそうだ。

この後、調子に乗ってさらに斜面を登ってみたら、急斜面過ぎて危うく二進も三進も行かなくなりかけて熊に怒られた。そういや、ずいぶん前にも逗子の山でえらい目に遭ったことがあったっけな*1。何とか平らな地面に降りたときには乾いた笑いが出た。ははは。

*1:参照

2024は頑張った

今年はちょっと頑張った。数年来、体調が未病でナニのソレだったのから、なんとなく復活してきて微妙に活動量が増えた。

体力増強のために東海道日本橋茅ヶ崎まで歩いた。その歩数を何かのエサにするべく、ピクミンブルームを始めたりした。半年でレベル61、デコピクミンは337種類まで集めたが失速し、イベントやら期間限定やらデコの数がどんどん増えるので、逆にやる気が萎えてきている。ましてやコンプを目指す気概などない。無課金でぼちぼちやっていけばいいや~、山ピクミンとかムリだし~、たまに持ってないのに当たればラッキーくらいで~。それ以外にもネタを作ってなるべく外に出るようにしていた。

鍼はまだたまに行っているが、漢方薬はもう常用はせず調子を崩した時だけスポット的に使うくらい。結局、抑肝散が決め手になったんだよなぁ。現代病はとどのつまりストレスっすよ。あすけんは一度サボったら復活できなかった。あれ、面倒くさいよねぇ。でも果物とダノンビオはまだ食べてる。だいぶドカ喰いしなくなってきた。痩せないけど。

パーソナルカラーと骨格診断で納得して着る物の方向性を決め打ちしたら楽しくなって、ワードローブ管理アプリのJUSCLOはまだ続いている。

ちょっとずつ住む場所を整え、食生活を整え、持ち物を整え、たまにちょっと工作で手を動かし、仕事以外もまあまあ安定してきたのではないかな。最近ひとり暮らしがふたり暮らしになったが、これはまだ安定しない。つきあい自体は長いのでぼちぼちやっていけたらいいと思う。

ブログも週1更新を目標に仕事が忙しいときは気にしない方向で復活基調にもっていくようにしていた。いまはちょっと忙しいので停滞しがちになっている。これからも派手なことはないと思うが、だんだん目の前のちょっとした楽しみが大事というか、行きつくところはそれしかないんだということがわかってきたので、無事是名馬で平和に地味に楽しんで生活していければいいのだ。

友達と飲んだ帰りにタルトとコーヒーで〆る、そのタルトを選ぶ瞬間が一番アガる。わーい。

こういうのがいいんだよ。

良いお年を!

2024クリスマス肉料理はアイスバイン

はい、来ましたクリスマス。毎年恒例の肉料理の日である。今年はアイスバイン

アイスバインドイツ語: Eisbein)は、豚肉(塩漬けの豚すね肉)を、タマネギセロリなどの香味野菜クローブなどの香辛料とともに数時間煮込んで作るドイツ料理を代表する家庭料理である。ベルリンの名物でもある。 

アイスバイン - Wikipedia

豚の皮つきすね肉を約1kgを買ったら鍋に入らなかった。

しょうがねぇ、切るか。鋸でゴーリゴーリゴーリと骨ごと切断して鍋に入る大きさにする。一応、鋸は事前に洗って火で炙ってみた。

まずは血抜き。日本の食肉として売っている肉に血抜きが必要かなのかどうかよくわからないが、2時間くらい真水に浸して、更にひと晩10%の塩水に浸けたらちょっと水がピンク色になったので少しは抜けたんだろう。

次は10%の塩水にニンニク・コショウ・グローブ・ローリエローズマリーナツメグ・タイム・シナモン等々、豚肉に合いそうな香辛料をバカスカ入れてビニール袋に入れて漬け込む。日曜に肉が来て月曜夜に入れ替えて金曜の夜までなので5日間かな。1日おきにひっくり返して満遍なく浸かるようにした。

煮る前に1時間くらい真水に浸けて塩抜きをし、水を入れ替えて煮始める。アイスバインは低温調理に近い感じらしいので、たっぷりの水に入れて弱火でゆっくり加熱し、グラグラ煮立つ前にとろ火にして1時間程度、一晩おいてまたゆっくり加熱してまた火を止め、更に夜にもゆっくり火を入れた。こういう煮込み系は時間はかかるが火をつけたら放置なので大した手間はかからない。

できあがり。塩漬け肉を煮たものだから仕方ないが、色が悪いな!

しかし切ってみたら中はきれいなピンク色だった。ゆっくり火を入れた甲斐があったな。

味変用の調味料をいろいろ準備して、いただきまーす。

肉そのものは正しい塩漬け肉という感じで、そのままだと若干味気ないほど普通なのだが、マスタードやプルーンとバルサミコ酢で作ったソースをつけると途端に化ける。ほほー、なるほどねー、といいながらむしゃむしゃ食べたのだった。

食後のチョコレートケーキも堪能して、メリークリスマス。

 

煮汁がけっこうな量で余るのだが、冷めて固まった脂を除いても骨や皮から出たゼラチン質でぶりんぶりんである。こりゃ相当な出汁が出ているので捨てたらもったいなくてバチがあたりそうだ。次の日に残った肉を骨から外したっぷりの野菜と煮てポトフにしたら、そのまま食べるよりむっちゃ美味しかった。グルタミン酸イノシン酸の相乗効果‥‥! これは野菜と一緒に食べるのが正解ですな。

骨ごと煮るのに文字通り味をしめた熊から、次はテールがいいとリクエストがあったので、来年はテールスープかな。覚えてたらね。

いそがしかった

先々週までは吐きそうなほど忙しかった。主に頭が。公私併せてイベントごとが4つくらい重なって、私の狭小な許容限界を超えていたのである。それがひとつ完了し、ひとつは次の段階に進み、ひとつは私の手に余る部分を他人に押し付けて、なんとなく喫緊の課題はこなしたのであとは何とかなるだろ。マジで吐き気がしていたし世を儚むくらいどんよりしていたくせにストレスの元がひとつ減りふたつ小さくなったら途端にすっきりしている。我ながらゲンキンなものだ。いつものことである。

気持ち悪くなる時は素直になっといたほうが健全なのだろう。最近、少しずつ鍼で体中の筋が固まっているのを解している。解したことで堰き止めていたものが流れ出したのか、ここのところ如実にこの手のストレスをダイレクトに感じることが増えた。いままで身体に力を入れて感じることを拒否/無視して対処してきたのかもしれない。だって気持ち悪くなっても何も解決しないし意味がない。なんなら無感情にさっさと条件をクリアしたほうが根本的な解決に寄与するのである。

そりゃ厭だけど生きてりゃしょうがないことってあるじゃん。そんなん言ったら労働自体が厭だよ、お金貰うのは好きだけど。どうせやらなきゃ解決しないし具合悪くなるのも厭なのに、なんでいちいち気持ち悪くなるんだろうか。あれか、吐き気くらいしないと後回し癖が出ていつまでもやらないからか。自分に発破かけてるのか。じゃあしょうがないな。納得してしまった。なんだ、便利な身体じゃないか。‥‥そうか??
釈然としないが、合理とはいち個人の狭い感覚では測れないものだ。宇宙の神髄など私には理解できない。

映画:ロボット・ドリームズ(監督 パブロ・ベルヘル)

同名グラフィックノベルを原作に、擬人化された動物たちが暮らす1980年代ニューヨークで犬とロボットが織りなす友情を、セリフやナレーションなしで描く。

ロボット・ドリームズ : 作品情報 - 映画.com

途中まで擬人化された動物やロボットが何かのメタファーなのかと思っていたけども、どうもこれはそれだけにおさまらず、観ているうちになんともいえない複雑な感情そのものを素直に受け取ったほうがよい気がしてきた。

ロボットとドッグの関係は恋愛関係なのか友情なのか。なんだかゲイの物語のようにも思えたし、唯一無二の親友の話なのかもしれない。細かいことは見る側に任されているのかもしれない。だって作中のテーマソングになっている「September」の歌詞をそのまま膨らませたような内容なのだ。

華麗なるギャツビー善き人のためのソナタのように、これは何なのか説明しようとするとあらすじを書き連ねるしかない作品がある。映画をまるまる1本使って何を表現するか、その内容を端的にひとことで表せるならばそのひとことを言えばいいわけで、それでは表しきれない複雑な妙味を表現したいから長々と物語を連ねるのだ。

やさしいアニメ作品だけども、そんな深みを持った1本だった。名作であることに複雑さや饒舌さは必要ない。ときどきこういう作品があるから気を抜けないのだ。


www.youtube.com