微熱を巡るそれから

はい、6週間目。処方されたカロナールが効かない。

こんな微々たる微熱、略して微々熱なんか解熱剤飲んだらイッパツだろ、と思ったら、ぜんぜん効かないでやんの。なんだこれ。もうさぁ、医者も治ってるはずって言ってたし、仕事に行ってもいいか聞いたらダメとは言わなかったし、これ以上唯々諾々と大人しくしてられっか。

逆ギレしてドタバタと部屋の掃除をしトイレと風呂場にもハイターを撒いて消毒したのだが、ハイターの匂いがしない。不思議になってハイターの容器から直接匂いを嗅いでもわからない。あれ? 味覚&嗅覚障害は2日間で治ったと思ってたけど、完全じゃなかったのか。このところコーヒーが美味しくないと思っていたら、豆のせいじゃなくてこっちのせいだったのか。ひょっとして味覚もどっか変になってるのかな。わからん。

それからいつもの整体に電話して行っていいか訊いてから鍼をうってもらいにのこのこと出掛けたのだった。そういや鍼で感染症予防もできるんですって。確かに私も緊急事態宣言が出て整体が時短営業になり、仕事の都合で通えなくなってから3週間後に発熱したわ。東洋の神秘だわ。どの程度効果があるのかは私に聞かないでくれ。知らん。とにかく微々熱などの西洋医学ではこんなん病気じゃないですよ扱いの不定愁訴は、東洋医学の方がお得意ではあろう。私のようなタイプは太極拳でも始めた方がいいのかもしれない。とまれ鍼をうったらスッキリしてやたら元気になって帰ってきた。

翌日に淹れたコーヒーは以前のように美味しかった。

会社も痺れを切らしたのか、突然の出勤となった。月曜に電話してきて「んじゃ明日から」って、相変わらず言うことが急ですな。もう慣れたけど。

まったく外に出ずゴロゴロしっぱなしなのも体調が戻らない原因のような気がしていたのだが、案の定1日目はなんだかぐったり疲れたものの、続けて鍼を打ってもらったせいかそれ以降はだんだん普通に元気になってきた。体温は微妙にいつもよりは高いかなという程度で、まあ平熱といって差し支えない。そのうち落ち着くだろう。落ち着くに違いない。

結局なんだったのか詳細は不明のままである。PCR検査だって初期の数日くらいで受けなければ結果が出ないらしいので、いまさらどうしようもない。私は軽症コロナだったと思っているが、本当のところなんだっていいや。(←期間が長すぎて飽きてどうでもよくなっている)

これにて一件落着!!

 

微熱を巡る延長戦

丸5週間が経過した。

な ん な の か 。

いったん平熱になったあと、また熱が上がりだした。狙ったかのようにきれいに37.5℃以下の微熱である。まるでこれが平熱であるかのように3日が経ち、半分ブチ切れ気味で保健所と総合病院に電話したら申し合わせたがごとくかかりつけ医にご相談くださいと突き放され、よーし、それなら相談してやろうじゃないかと近所の内科再びで捻じ込んで大きな病院に紹介状を出して貰った。

そうしてようやく訪れた大病院では玄関前に関所が設けられており、それに引っかかって裏に回された。病院裏側の救急入り口に白いカマボコ型の医療用テントがあり、待合はパーテーションでガッチリ椅子を囲んだザ・感染症エリアなつくりになっていた。看護婦さんもお医者さんも薄緑の不織布割烹着のようなスモックを着て、マスクの上からフェイスガードを装備している。完全にコロナ扱いである。正直ちょっとワクワクした。しかし1ヶ月前ならともかく、もう治りかけ(仮)である。イエス☆ポジコロ!! しかし個人的にはコロナかどうかはどうでもよくなっていた。

問診のあとにお医者さん曰く、最初はコロナの軽症だった可能性はあるけど、経過日数からそれはもう治ってるはずなので、いまの微熱については大したことないし2週間程度様子をみましょう。

いやあのね、いままでのかかりつけ医は言葉を濁してとにかくこんな微熱は医学的には発熱ですらないので大したことないから様子をみましょうでも家から出ないでねとしか言わなかったし、保健所も可能性は低いですの一点張りだったので、コロナだったかもねと医者の口から出たのは新しいけども、こっちは見立ても何もなしに自宅待機ですでに1ヶ月以上様子をみさせられてんだよ。とにかく今の不調がなんなのか、外に出てもいいのか、考えられる可能性はどんなもんで、あとどれくらいかかりそうなのか。その辺のマイルストーンのひとつくらいないのか。コロナかどうかなんてこのタイミングで検査受けたってどうせ出ないだろうし、だったとしてもこんだけの軽症だし、はっきりしないのはもういいよ。でもなんかこうあっちもこっちも歯切れが悪いんだよな。微熱以外の軽い風邪症状についてもちゃんと話しているのだが、揃いも揃って「微熱以外の症状がない」ってのはなんなのかね。治ってるはずなのになんで微熱が続くのか、コロナだとそういう予後がありがちなのかとか、そのへんもまだ不明なのだろうか。新しい病気でよくわかってない及び検査してない=診断確定できない以上は他の可能性も考えなきゃいかんから仕方ないのかもしれないけどさー!

ゼィハァ‥‥。

結局、ごく軽症のコロナだったという仮定で扱われているってことでいいんだろうか。まあ、個人的には普通の風邪じゃないし味覚障害もあったし手足の先がピリピリして痒いし、そうだろうと思ってるけど。治ってるはずなのに微熱が続くのは、たまにあることなのかあんまりないのかわからんが、対応が悠長迫らない感じだから感触としては放っておけば治るのかね。こうはっきりしないまま1ヶ月以上も放置してまだ何も目処がつかないのが一番困る。もういいっすかね、ウィルス排出してないってことで。ちょっとした微熱だけならそろそろ出勤したいんだけども。サラリーマンの特権で休んでも収入が保障されてて有り難いんだけどさ、それにも一般的なタイムリミットはあるからね。あんまり続くなら休職とか考えなきゃならないわけよ。その先は部署移動か辞職ですよ。

今回のタイミングだとしょうがなかったのかもしれないが、「何もわかりませんとにかく家から出ずに悪化か復調するまで様子をみてください」で1ヶ月というのは、現代ではあまり感じることのできない一寸先は闇あった。なんだろう、こう、ある意味で自由だね。

OS-1も飲み飽きた。

微熱を巡る後始末

ついに平熱になった。ひゃっほぅ。36.4℃、若干高めでもなくバッチリ平熱である。

今日で微熱が出始めてちょうど4週間である。この1週間は朝は35.9~36.8℃、夜は36.8~37.3℃を行ったり来たりしていた。昼間は平熱のことが多くなって、熱のない時間が増えてきている。他の症状といえば、喉の痛みはいつの間にか消えているし、耳の下のリンパのあたりに少し不穏な気配が残っていたのもなんとなく解消しつつある。足元が若干ふらつくがこれは寝込んだ弊害だろう。

今週からPCR検査の基準が更に緩和されたらしいのだが、ここまで我慢してただでさえ軽い自覚症状すら取れてきているタイミングで、個人的にはもう面倒臭い。しかもかかりつけ医が検査にあまり乗り気じゃないので、そこを押し通す信念も情熱もない。しかし社会復帰の道筋としては陰性を叩き出さねばならないのだろうか。周りで他に発症者は出ていないようだし、どこから感染したかにもあまり興味がない。究極はコロナかどうかもどうでもいい。もうひたすらに面倒臭い。いくら休んでたって熱があったら何もする気にならんし、ただひたすら自宅に篭ってぐったりしているだけである。相変わらず本は読めんし、ネトフリにももう飽きた。OS-1は1箱飲み切って、2箱目である。飲み過ぎとか知らん。

しかしやっと治ってきたかー! 長かったなー!

まさか1ヶ月かかるとは思わんかった。普通の風邪が3~4日で治るなら、その1日分が1週間に相当したようなもんである。当初のPCR検査の要件に4日以上の発熱というのがあったが、よく考えてみればインフルだって1週間くらいで治るのだから4日も発熱が続く風邪なんてそうはないわけで、この病気の奇妙なしつこさを表しているのかもしれない。いやいやいやコロナだとは言ってないよ。検査受けてないし保健所には3回電話して3回とも可能性は低いって言われたしね!!

若かりし頃に腎盂腎炎になったことがあるが、高熱の出始めがお盆休みの最初の土曜日で、うわー38℃越したよーと思いつつひどい風邪だと思ってたんで解熱剤飲んでとりあえず我慢した。しかし3日目になっても熱が引かないどころか39℃を突破したので、これヤベェと思って救急病院に駆け込んだら、「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」と怒られた。あれを思い返すと、38℃以上の熱を抱えて4日待機はありえないな。普通の生活をしていて高熱が3日以上続くってのはまずないことで、それだけで生命の危機を感じるよ。

 

微熱を巡る終局

微熱発生から24日目、ついに平熱になった。発熱して3週間強の間、ずっと何やら身体の中で闘っている気配がしていたが、それもようやく落ち着いた感じがする。平熱が久しぶりすぎて寒い。

最後の1週間は夜は寝苦しくて眠れず、昼に2~3時間寝て、また夜は細切れにうつらうつらするの繰り返しになり生活リズムが保てなくなっていた。長引くとこの辺もコントロールしづらくなる。

いろいろ試してみたのだが、市販薬で無理やり解熱してもあまり効かない上に若干気持ち悪くなった。あまりお勧めしない。OS-1をガブ飲みして足の裏に熱冷ましジェルシートを貼って寝るのが一番効果的だった気がする。私の足の裏はアトピー云々で汗腺があまり仕事をしておらず放熱しにくい仕様となっているのだが、そこを改善してやると発熱→放熱の流れがスムーズだったようだ。普通の人は水分をたくさん摂れば済むのかもしれない。あと果物が異様に美味しく感じた。果物を食べるべし。

軽症に限っての話だが、ウィルスは直接叩ける治療薬がないのであれば自前の抵抗力でなんとかするしかないので、発熱して退治するのが結局のところ近道なんだろう。そのために水分と栄養が必要だという、至極真っ当な結論ではなかろうか。

しかしそれにしてもしつこい、本当にねちっこいウィルスであった。熱が下がっても本当に終わったのか疑心暗鬼になってしまいそうなくどさがあった。‥‥終わったんだよね?

さて、熱が下がったということで次に来るのは職場復帰なわけだが、休みすぎて現場に戻ることを考えるだけでつらい。あーあー仕事したくなーい。

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と思ってた時期が私にもありました。

まあなんだ、このしつこいウィルスに1度平熱になったからって、これで終わりだと思ったのが間違いだった。出たよ、微熱。夕方から夜にかけて見事に37.2℃。そして朝には平熱に下がってる。ぐぬぬ、今度はこのパターンか‥‥!

微熱を巡る奮闘

ゴールデンウィークを越しても、相変わらず37.5度以下の微熱が下がらない。連続微熱17日目である。近所の内科に行くのも3回目。血液検査の結果は異常なし。お医者さんの話を聞き、新コロであっても無症状に近い軽症であろうし、ここまできたら悪化の目もなさげ。本人としては自宅療養で納得している。むしろ普段だったらこの程度の症状では休まないので、休めるだけ御の字ですらある。が、周りが保健所に電話しろしろとうるさいのでこれまでに2回電話が繋がったけど、まあ予想通りマニュアルにのっとった塩対応ですわな。なんでも今日から保健所の受け入れ基準が緩和されたらしいが、どうせ検査受けても確度は7割、陰性でも信用できない、陽性でも治療薬があるわけでもない。自宅で様子見になるのは変わらんのだ。どっちに転ぶかわからなかった1週間前ならともかく、もう面倒が増えるだけっぽいからいいわ‥‥。

実は3日前の連休最終日に咳き込んで胸の辺りがちょっとヒューヒューいったので少しヒヤッとしたのだが、この日だけ37.6度まで熱が上がり、次の日には症状は落ち着いていた。どうやらウィルスに競り勝ったらしい。

そして今朝から若干お腹が下っている。

熱、のどの痛み、頭痛、味覚障害、呼吸器系の症状、下痢。新コロっぽい症状は出るんだけど、すべてにおいて軽くて2~4日で治ってしまう。あ、筋肉の痛みは普段からあちこち痛くて鍼に通ってるくらいなので区別がつきません。いまでも腕とか肩とか脚とか意味もわからず痛いです。とまれ、普通の風邪でも同じような症状は出るだろうし、めまい・耳鳴りもけっこうあったし、もう何もわからんね。味覚障害だけちょっと変わってたかな。

いままで経験した「風邪で味がわからない」のとは一線を画す味覚障害だった。熱が出て12~13日目だったかな、ものを食べると塩気は感じる。しかし風味の要素がごっそり抜け落ちているようだった。じゃあ鼻が利かないのかというと、ゼロではない。例えばコーヒー豆の瓶に鼻を突っ込めば感じることは感じるが、もっと芳醇に広がるはずのなにかが抜け落ちて、古くなって酸化した3年前の豆を嗅いでいるような匂いがする。コーヒーを淹れて飲んでみても、無味無臭に近くて舌の上で転がせばかろうじて遠くのほうで「苦い‥‥?」とわかる。この状態でよそで出された食事をしたら、「マズイ」以外の感想は出てこないだろうな。私は味の予想がつく自炊だったからおかしいと一発でわかったけど。

この頃はとにかく口の中がピリピリヌメヌメと気持ち悪くて、歯磨きの際に舌まで歯ブラシでゴシゴシやっていたら、2日後には味覚が復活した。関係あるのかどうかは知らぬ。

低くても発熱期間が長くなってくるとだんだん身体の水分が飛んでくる。長丁場になると水を飲んでも胃腸が弱って吸収されず、お腹がタポタポになる。あ、これは夏場のキッツイときと同じような状況だね! まかせろ、去年の夏に余ったOS-1の備蓄がある。ついでに今年用を箱買いしとくか!

熱の出はじめはとにかく腹が減って仕方なかったのでガンガン食べていたのだが、1週間もすると次第に疲れて食欲が失せてくる。ちょっと胃が痛くなったり味覚障害で美味しくなかったりで余計に食べたくなくなったのだが、食べないとヤバい感がひしひしとしていたのでとにかく1日2食は食べるようにしていた。来る日も来る日も熱が下がらずとにかくしつこく、少しずつ少しずつ気力・体力を削ってくる厭らしさがある。食べる力が弱い人や体力のない人は体力負けするかもな。

こういうのはひとりで落ち込んではいかんのだ。長いけど実際のところ症状は本当にたいしたことない。熱は下がるときがくれば下がるだろ。可能性は低いけど何かあったらすぐ救急車を呼べばいい。いたずらに不安がらずゴロゴロ食っちゃ寝しながらネトフリでも観て呑気に過ごすのが肝要だ。やっててよかった生協宅配。ホントに助かるわー。

今日もOS-1がうまい。

微熱を巡る攻防

世間の早いところでは3月くらいから自粛モードに入っていたのだろうが、こちらは現場に行かなきゃ仕事にならない職種のため、仕方なく不要不急の現場作業に通勤していたのである。仕事がなくて開店休業状態になってしまった方々も死活問題なので大変だろうが、そこは是非政府の横っ面を張って金を吐き出させてほしい。そういうことなら私も微力ながら協力しよう。みんなみんな生きているんだ友達なんだ。
しかし、低いとはいえ死ぬ可能性のある感染症が広がっている中を、大した情熱も使命感も抱いていない仕事のために、毎日不特定多数とすれ違いながら仕事を続けるのは嫌なものである。しかし現場が止まらない限り、休めない。ちなみに国交省からは2月末の時点で「コロナのせいなら工期延長に対応するよ!」という通達が出されている。工事業者にとって工期は絶対である。公共事業なら尚更だ。しかし延ばしてもいいよというお上からの通達があれば、各現場責任者の裁量で現場を休止することができるようになる、ということなのである。書類はたくさん書かねばならないが。公共と民間では違うのだが、なんとなく流れを作るのはやっぱり省庁の動きである。しかし今回の現場は止まらなかった。ただでさえ現場ってのはキツいのに、なんで戦々恐々としながら身を粉にして働かねばならんのだ。しかも慢性的に過労状態で現場が終わるたびに不調になり病院通いするわ、インフルは予防接種の期限が切れた途端にかかったこともあるし、誰が平気でも私は感染する弱った個体である自覚がある。ああ、ヤダヤダ。
と思っていたのだが、案の定というか4月22日から微熱が出はじめた。朝は低めでも夜は37℃を超える。その状態が現時点でかれこれ10日間続いている。22日より前の2週間というと、「緊急事態宣言の発令の方針」が4月6日、それを受けて会社の自粛策の一環で車通勤に切り替えられた頃である。それからも毎日出勤して作業も顔をつき合わせての打ち合わせもしてるし、コンビニにもしょっちゅう行っていたし、まあ外食はしなくなったかな、くらいの普通の生活を続けていた。現場というのは色んな職人さんが入れ替わり立ち替わり出入りするもんで、事務所は狭いしトイレは共有、挙句に無症状の可能性まで考えたら感染源などわかりゃしない。
とはいえ正直、いつもなら風邪薬のんで仕事してりゃ治る程度の症状ではある。しかしこのご時世なのでちょっとでも熱があったら仕事に行くわけにもいかないわな、というわけで水曜から休み始めてそのまま週末を超えたが状況が変わらないので、こりゃダメだと月曜に近所の内科クリニックへ電話した。これこれこんな症状なんですぅ、と訴えたら保健所に電話してくれとのことなので、言われた番号にかけるもとにかく話し中で繋がらず、呼び出し音が鳴っても誰も出ずしまいに切れた。懲りずに30回以上かけ続けたが繋がらないのでもういいだろ。仕方ない。またもや近所の内科に事情を説明して捻じ込んで診察してもらい、とりあえず抗生剤を貰ってきた。ウィルスには抗生剤は効かないはずなので、これで治ればコロナじゃない確定である。酸素濃度と呼吸音は異常なし。
抗生剤を飲み始めた次の日の火曜は熱が下がった。お、単なる過労だったか。と思ったのも束の間、水曜にはまた微熱復活である。こっちの方が平常なのではあるまいかとうっかり勘違いしそうになるくらい普通に微熱。症状としては吸い込まれるようなめまい、その他に少し喉が痛いかな? あとたまに咳が出るくらい。舌の表面がピリピリして2日間くらい味覚と嗅覚が明らかに変になったが、何故かそれだけは回復した。
腹を括って水曜にまた保健所の方へ電話したところ、一発で繋がってびっくりした。あ、祝日か。やってんだな。電話口で問診のようなことをして、その場で「可能性は低いです」ということになった。うん、なんとなくわかってた。37.5度以下の微熱が続いてるだけで肺炎の症状は皆無だし、発熱自体がそんなに高くない。帰国者との接触にも心当たりがない。まあ、死人は出るわ、重傷者はいるわで、電話も出られないくらいクソ忙しい中で、こんな軽症患者の面倒まで診られないよな。いや皮肉ではなく。しかしじゃあなんだっつー話ですよ。大人しく自宅待機するけども。
月曜に貰った薬が切れる前に、また内科へ電話して予約して診察してもらい、また会社への休業アピールと悪化した場合の対応をしてもらうための繋ぎをとっておく。ついでに他の病気の可能性を模索するために血液検査用の採血をして貰った。処方は喉用の弱い消炎剤1週間分。はい、じゃあ連休後に。しかし連休長いなぁ。その間に急変したらどうすんだ。救急車呼ぶしかないわな。
微熱とはいえ、10日以上も続くと疲れてくる。やたらしつこいウィルスで、こっちの消耗を待たれているような不気味さがある。これがただの更年期障害でしたとかならいいんだけどな。

レイジーさんのこと

今月上旬にレイジーさんが亡くなられたという報せがあった。ここ数年、癌で闘病中だったのはご本人にお聞きしていた。

最初の乳がんでの治療が終わった後にお会いしたとき、「(抗がん剤治療が)本当にキツくてこの年でこんなの我慢するのはもうイヤだ」「再発したら治療しない」などと言ってたのを思い出す。なんていうか、そういう人だったのだ。そういうことを言って頑として譲らない。本当に困ったお人だ。とはいえ、本当に治療を拒んだわけではなかったようなのは、mixiの日記を通してときどき拝見していた。

私にとってレイジーさんとは、いわゆる「都会の女」だった。私自身は生まれも育ちも東北の、関東に出るつもりもなかったのが何故かたまたま流れ着いてしまった山出しである。コンプレックスやヒガミではなく、事実としてそうなのだ。テレビにしろネットにしろ、画面を通して眺める景色は遠い世界を写したもので、身近なものではないという感覚が染みついている。そこへきてレイジーさんは美大を出てテキスタイルやらそっちの方を生業とし、若い頃はライブハウスに通い暴言を吐いた相手が今思えばあれは内田裕也だったとか、そんなエピソードの持ち主で、私は「わあ、ドラマみたいな話が身近なんだな」と感じていたのだ。ドラマ=画面の向こう側という、地方出身の人ならニュアンスが通じるだろうか。未だに目黒通りの車線の狭さに閉口しながら「なんで私はこんなところを運転してるんだ」と思ったりする。人生とは不思議なものである。

話が逸れたが、都会とは文化的という意味でもある。レイジーさんはけっこう年上だったはずだが、ブリティッシュロックを愛し、チェーンソーを振り回し、面白いもの楽しいものを探求する好奇心に満ちた人だった。いろんなものの垣根が低いというのだろうか。鼻持ちならない若造である私を尊重してくれて、細かいことは書かないが、何度か「この人には敵わないな」と思ったこともあった。そういえば私が作ったものをいつも面白がってくれて「もっと作れ」と言ってくれたこともあったっけ。

正直にいうと泣きながらこれを書いているのだが、自分でも意外なほど寂しい。ああレイジーさん、寂しいなぁ。でもまあ、私もいつかはそっちへ行くのだ。もう少し頑張ってネタを作るから、そっちで会ったらまたはてダ隊で美味しいものを食べながら話そう 

 

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