暴風警報と洪水警報が発令される中、ぬくぬくの布団の中でだらだらと惰眠をむさぼっていたら、郵便やさんがやってきた。郵便局のメール便(?)エクスパックだった。
中身は離職票だった。社労士さんと社長は会えたのだろうか。そういう連絡はきていないが、いちいち細かく私に連絡するもんでもないだろうし、よくワカラン。でもとにかく書類は来た。九月分の給料欄は”未計算”になってるが、来たものは来た。実際その分はまだ貰ってないし、プロが作ってるんだから多分これでいいんだろう。社労士さんにも事情を話して急いでもらったので、無理して頑張って作ってくれたのかもしれない。休み明けに電話してみよう。
これで雇用保険の申請ができる。ズルズル引き伸ばしてた次の職場への返事もできる。だって、次の仕事が決まってたら、失業保険はもらえないのだ。前の給料ももらえず、一ヶ月まるまる働かずにいて、ここで国に助けてもらえなかったら何のために保険に加入してるのか判らないよ。苦しいがこちらでタイミングを合わせる技が必要だったのだ。
サラリー(ウー)マンは給料を毎月もらえることという、あてにできないことをあてにして、薄氷を踏んで生きている。ちゃんともらえる保証なんか、本当はどこにもないのだ。ただ相手を信用しているだけ。好意で手を組んで、生き馬の目を抜くような裏切り行為は多分しないだろうと、希望的観測に生活を賭けている。
だけどそれ以外の生き方はもっとリスクが大きいと思われてるんだよな。どこかの会社に勤めてさえいれば、ローンを組む程度の社会的信用はただで得られる。そう思うと不思議。会社組織って基本的に”信用できるということにする”ことになってるんだな。