リスク管理

ネット上で日記を書いていて、袖触れ合う縁でたまたま仲良くなった人以外に一体どれだけの人が読むか。ワールドワイドに発信されているといったって、受信する側の人間に時間と処理能力に限界がある以上、互いに認知できる人数は知れている。
そう考えればネットもリアルも大した違いはないのかな、とは思う。


リアルでも毎日外に出る生活をしていれば、突き詰めて考えれば事件や事故に巻き込まれる可能性はある。通り魔に遭うかもしれないし、歩いているところに車が突っ込んでくるかもしれないし、大地震に遭遇するかもしれないし、つまずいて転んで縁石の角に頭をぶつけて死ぬかもしれない。家にいたって風呂に入っているときに溺れるかもしれないしガス爆発が起きるかもしれない。帰宅途中につけられれば、顔は見られているし住所氏名をセットで見知らぬ他人に知られてしまうことも容易に想像できる。


ただ、そこまで手間をかけて他人の顔や住所氏名を知って、自分だったらどうする?
どうもしない。
交流も利害関係もない他人の個人情報など、情報としての価値は限りなく低い。中にはあくどい利用法を考え付く人間もいるかもしれないが、それは少々変わった人で滅多にいるもんじゃないだろう。
そう考えるからあまりリスクとしては視野に入れない。なにより、そんなことを気にしていたら生活ができない。そういう天秤なんである。
それでも可能性はゼロではないので、無駄に発表したりはしないくらいのリスク管理はしているんじゃないだろうか。
ネット上にそれを公表するということは、情報を手に入れるための敷居をとっぱらい、一握りの危ない人に対しての抑止効果を減少させるということだ。
もちろん公表したからといって困った目に遭うことは殆どないだろう。自意識過剰といえばそうかもしれない。しかし人の良心を信用し性善説に頼ってばかりもいられないのが人間社会である。何かあってからでは遅い。泥棒だってそんなに多くはないが、毎日無駄に戸締りはするだろう。


ネット上で実名や顔、職業を晒すことのメリット/デメリットは、人によって違う。
一部のビジネスマンや著名人、会社人間ではなく個人として生きようとする人にとっては、ネットは強力なツールであろうし、それを最大限に利用しようとすれば実名を公表したほうが他人の信用を得られやすいだろう。特に仕事に役立てようとすれば有形無形のメリットがあると想像はできる。
しかしネット上で個人情報を開示するということは、公私共に社会に対し隠れない自分でいることを要求される。というか、私なら自分自身にそう要求する。別にコメント欄で他人を罵倒したり、陰でコソコソと恥ずかしいことをしたいと思っているわけではないが、ネット上でまでよそゆき用のペルソナを被り続けなくてはならないのかと想像すると、げんなりする。


それは屈託がなく公私の境界が曖昧でも生きていける人だからできることだ。
もちろんそうなるまでに本人の努力奮闘はあったことだろう。社会的にそう風当たりが強くない立場を手に入れるまで、猫を被らなくても生きていけるようになるまで、もしくは向かい風に耐えられる強度を持てるまで頑張ったんだろうことは疑いもない。それは素晴らしいことだし尊敬する。
しかし今の社会のあり方・状況の中で、私には個人情報をネット上に晒してそれを管理していける自信はない。自助努力が足りないのかといえば私自身はそうは思わないし、私の人生の形はそうすることに向いていないだけだ。女性であり、会社勤めをしていて、他に頼るものもない者としては、例えば究極の選択だとしてだが、もしも『そうしたリスクを負わなければ築けない友人関係』ならば、それがどんなに豊かなものであったとしても、生命あっての物種なので残念ながら断念するしかないだろうと思う。*1


他方で、ネット上のハンドルネームもずっと使い続けていればしがらみも出てくるし、「ネット上の個人」を特定するものとして機能する。オフ会に出たりすれば、顔とハンドルネームが一致する。
そうなってくるとただ名前をふたつ持っているだけで、何が違うのかよく判らなくなってくるが、真の名というのは古来からそうだが、紐付なんである。
現代でいえば法的な効力がある基礎年金番号や身分を証明するものなどと繋がってくる。裁判所に申し立てるとか脅すなどで他人を操ったり実害をもたらすことができる。
つまり術式を知っていれば効果的に呪うことができるんである。
一方でハンドルネームはいわゆる通り名であり、拘束力を持たないので、呪術に使われる心配は少ない。
そういうもんだと私は思っている。

*1:誰もそんなことは要求していない。為念。あくまでも言葉の上でのことである。