森美術館:英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

六本木ヒルズ森美術館へ、ターナー賞の歩み展を見に行った。
あまり美術展などには行きつけておらず、それどころか行く前まで現代美術というと難解で内輪ウケで独りよがりで面白くないという偏見を持っていたのだが、物は試しと見てみたら存外ストレートに楽しめたのであった。
えぇい、平面図を寄越せ!と言いたくなるようなあの入り組んだ森ビルに入り、エレベーターを上がったりエスカレーターをあがったり、やっぱりくねくね歩いて(この簡単に辿り着けずに黒い空間を経ることで、日常と切り離された異界へ入る準備が出来るわけだが)辿り着いた先で、真っ先に目に入ったのがトニー・クラッグの『テリス・ノヴァリス』だった。これが天体望遠鏡だかバズーカ砲だかの筒型のモノがどっしりした鉄輪に据え置かれ、さらにそれを爬虫類っぽいのやら鳥っぽいのやらの一本一本違う脚が支えているという、有機物無機物ごちゃ混ぜのキマイラ状態なんである。工学系やや文学寄りの私にとっては、こういう造型は猫にマタタビである。もちろんこれは機械の模型ではなくアート作品なので、下から覗いてもボルトも歯車もヒンジも蝶番も見えるわけはないのだが、思わず作品の周囲をアヒル歩きしてしまった。
そうして最初に変なスイッチが入ったまま次々と作品を見て回ったのだが、面白いと思えるものもピンとこなかったものもありつつ、サスキア・オルドウォーバースの映像作品『プラシーボ(偽薬)』は引き込まれるようなトロトロ具合で、液体中のようなのに触ったら妙に乾いた感触がしそうで、観ながらずっと生乾きのシリコンパテの表面を撫でているような恍惚とした気分になっていた。
アートってよく判らないけど、特定の準備された空間でそのための装置を楽しむという意味では、意外とテーマパークのように楽しめるものなのだな。よく判らないなりに今回感じたのは、人の感覚(特に視覚)に揺さぶりをかけてその感触を楽しむとか、ヒトのあり方やある特定の状況下での変化などをややブラックジョーク的に楽しむとか、作家がこれ面白いでしょ、と出してきたものを読み取り一緒になって面白がるというような、そういう遊び心なのかなということだった。そしてこういうのは実はまっさらな子どもよりも経験値のある大人のほうが面白がれる、『興味深い』ほうの『面白い』なのだな、と齢三十余にしてやっと思い至ったのであった。そう思うと、芸術なんてものは古今東西そういうものだったかもしれない。
そうか、美術館は大人のテーマパークだったのか。

英国美術の現在史―ターナー賞の歩み

英国美術の現在史―ターナー賞の歩み