東京国立博物館「妙心寺」


正法山妙心寺臨済宗妙心寺派の本山である。ご本尊はズバリ釈迦如来禅宗の流れで数々の宝物を蔵している。
禅の美術というと、掛け軸に『無』とか『空』とか若しくは『○』の一字だけ太字で書いてあるイメージがすぐに浮かぶ。発想が貧困である。もちろん展示されているのはそれだけじゃなかった。
しかし正直なところ、書は見ても善し悪しがよく判らない。ありがたい経文も、きっと偉いんであろうお坊さんの肖像もどれも似たり寄ったりに見えて、『百人一首坊主めくり〜』などとバチあたりなことを呟いていた。大事そうに古い袈裟も展示されていたのだが、それと同じものを掛け軸の中の高僧が着けているのを確認して、その関連性にやっと「ああ、なんかすごいな‥‥」と血肉が通った時代を伝えるものとして認識できた気がする。どんだけバカなのか。まるで視野が狭くて物事を理解していない人に、実物と絵を見せながら説明すると判る、というそのまんまである。禅の前には稚魚同然である。
気を取り直して、目で見て形の判るものを中心に見て回る。

  • 菊唐草文玳瑁螺鈿合子は松のような形(洲浜形)をした螺鈿細工の小物入れだが、表面がピカピカしているんじゃなく、奥ゆかしいキラキラが素敵。化粧道具だったんだろうといわれているが、なるほど確かにコンパクトやシャドウカラーのケースのデザインが綺麗だと嬉しいよねー。
  • 黒光りした漆を厚く塗って文様を彫り込んだ曲輪堆黒香合は、マットなようで表面に透明感があるような、吸い込まれるようなそっと撫でたくなるような不思議な黒である。何十年も何百年も時間をかけて漆がこなれないと、こういう色は出ないらしい。
  • 瑠璃天蓋はファンシーなビーズ細工のモビールに見えて仕方なかったが、そもそも天蓋というのはルーツはお釈迦様のインドで、熱暑厳しいところで貴人の上に蓋をかざして歩いていたところから貴尊のシンボルとなったものである。お寺の本堂でご住職が坐られる場所の上に掛かってるのと一緒だ。
  • 瓢鯰図は「瓢箪でどうすれば鯰が捕らえられるか?」という禅問答の絵だが、葦らしき草はずいぶんツンツンと描かれている一方で水の流れや空気感はあくまで柔らかで、なんだかアンバランスさにおかしな気分になるのだが、少し離れてみると一転、これでいいのだという気がしてくる。宮本武蔵がこの絵の前で自問自答をし、彼の剣の鍔はこれにちなんだ瓢鯰のデザインになっているというのは有名な話。私が観たときにはこの絵のまん前でどっかのオッサンがしきりに首をかしげながら居座って動かなかった。気持ちは判るけど、それって禅的にどうなのよ。
  • 雲龍図襖は『ぴゅぅ〜』と音が聞こえてきそうな龍の墨絵。漫画的で判りやすいが、妙な力のある絵である。好きだけどこれが部屋にあったら毎日絵の龍にあてられて疲れるだろうな。
  • 雲龍図は法堂の天井画なので持ってくるわけにもいかず、壁から天井に掛け渡された大きなシルクスクリーンで展示されていたのだがデカくて迫力。しかし実物は直径12mもあり展示されていたものの3倍らしい。龍の目は円の中心に描かれ、立つ位置や見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見える、通称「八方にらみの龍」。

墨の水墨画とともに狩野派も多くて、金箔貼りの襖などわりと絢爛豪華な展示だった。
ところで

本展のチラシやポスターに掲載されている「龍虎図屏風」の展示は、会期前半(1月20日〜2月8日)で終了しております。会期後半(2月10日〜3月1日)の現在は、同じくメインヴィジュアルに使われている「花卉図屏風」が展示されています。

とのこと。キンピカ龍虎の屏風はもう展示が終了しているのでご注意召されたし。


妙心寺を観に上野に行ったら、もう大寒桜が咲いていた。そして帰り道に見かけた梅も。春だねぇ。