映画:ドゥームズデイ(監督・脚本: ニール・マーシャル)

ヒャッハー! である。成り行きで観ることになったのだが、予想以上に面白かった。
事の起こりはスコットランドグラスゴーで発見された致死ウィルスの流行だった。治療法が見つからないまま、イギリス政府はスコットランドとの境に鉄の壁を築いて封鎖、強引にウィルスの封じ込めを敢行した。そこを超えようとする者は問答無用で射殺、住民は見殺しである。
時は流れて27年後、スコットランドは既に『そんな国もあったなぁ』などとすっかり過去の国扱いになっていたが、ロンドンであのときと同じ病気が見つかったから、さあ大変。相変わらず治療法は判らない。
そこで政府の後出しじゃんけんで、実はずっとスコットランド人工衛星でもって監視してたんだけど、三年前からグラスゴーその他で人影が見えるんだよね。生き残りがいるみたいなんだよね。てことはなにか、壁の向こうでは治療法が出来たってことか。ふーん、じゃあ侵入してそれを戴いてきちゃおうよ。
というのがストーリーである。まずスコットランドを開放するとかそういうハナシは一切なし。治療法だけ判ればいいやという、いっそ清々しいまでに利己的かつ鬼畜な作戦である。正義なんて最初からない。潜入チームへの指示はひとつ。治療法を見つけて戻ってくること。見つからなければ戻ってこなくていい。
無法地帯と化した壁の内側では、人々は秩序が後退し力が支配する原始的な群れとなっていた。全身に刺青を入れトゲのついた鈍器を振り回す、北の蛮族の復活である。マッド・マックスはアメリカの乾いた砂漠の遊牧民のようだったが、こっちはパンクでロックでもっとえげつなくしつこい。奇声を上げつつわらわらと跳びかかり、余所者を捕らえて丸焼きにして喰う。轢かれ殴られ人がカンタンに肉片に変わる原始世界。チームの仲間もひとりまたひとりと欠けてゆく。
ホラーで描かれるカニバリズムというのは、嫌悪感を増幅させるためか判りやすいようにか、手や指の形が判るものだったり頭部を丸ごとシチューにしたりと、なんというか『ホラホラ気持ち悪いでしょー、普通喰えないよね!』というものが多いように思うのだが、ここではミディアムレアに焼けた肉片を切り分ける際には美味そうにぶるんと揺れたりして、やけにあっけらかんと身も蓋もなく肉は肉なんである。食料がないから仲間同士喰い合っているという凄惨な設定らしいんだが、いや、来る途中に牛の大群がいたし。もともとスコットランド地方ってそう豊かな土地柄じゃないにしても、比較的田舎なんだし第一次産業はけっこうあったはずだろ。人口が減ったらなおさら狩猟採集で賄えるんじゃないの。この場合は食糧難のせいじゃないだろ。とは思った。
有象無象のマッド・マックス派に対抗する狂った博士が率いる一派は、博士なだけにちょっと知的レベルが高いのか、だいたい中世〜近世くらいの文化程度を保っているようだ。しかし処刑がエキサイティングな見世物であるのは、原始の世界と変わらない。更に家父長制の理不尽さでもって、まつろわぬ娘には焼きゴテでお仕置き、気に入らない余所者は丸腰で甲冑姿の騎士の前へ放り出す。
最初にお城が出てきたときは『ほほぅ、さすがヨーロッパは古い砦が残ってて、そこを根城にしたのね』と感心したが、背後をよく観ると入り口に『Gift Shop』の看板が。ん? テーマパークか? 監禁されて逃げ出すときにも『Emergency Exit』という看板が役に立つ至れり尽くせりの設計である。そういやアチラのほうでは本物のお城を一般公開したりホテルに改装したりして利用しているというから、そういうもののひとつだったんかな。
いかにも時代がかった舞台装置や衣装と封建制の慣習の間に、チラチラと人に親切な現代が見え隠れする。そこへダメ押しのベントレーの新車がどーん。いい色ね。これいただくわ。じゃねーって! 映画のことには決して詳しい私ではないが、ここらへんの取り合わせでもうノックアウト・クラクラである。カーチェイスではまるで車のプロモーションかというほどスムーズな走りを見せ、序盤に絶たれた望みも見事あっさり挽回して文明に返り咲く。ハイテク万歳。
くだらないB級映画といってしまえばそれまでかもしれない。しかし環境が違うということは流通する常識をも変えるのだということを緻密にして見事に描ききった、ある種の突き放し具合にはつくづくと感じ入ったのであった。