金麦CMの違和感

昨日のついったーでサントリーの金麦のCMがもやもやするという話が出ていたのだけど、確かに私自身もあのCM自体はキライではないのだけど、ちょっともやもやする。なんでだろうなー。
あのCMの檀れいさんはタッチの朝倉南のように男性からの支持が多いらしい。檀れいさんはお美しいと思うけど、南ちゃんはよく判らん。なんでだろ。というのは置いといて、あのCMはあまりにも最大公約数の『理想』を体現しすぎていてファンタジックすぎるんだな。しかしCMがファンタジーなのは今に始まったことじゃないけどな。


檀れいさんが演じる女性は、普通に考えたらちょっとおかしい。どうも若夫婦のようなのだけど、付き合い始めの頃のように熱烈に恋しちゃってる女性なのだ。

上の映像のように『金麦と待ってるから〜!』なんて叫ぶのは、相当浮かれてないと出来ない芸当だ。というか、恋愛中だって実際にやったらかなりイタイ。頭オカシイ。なのに結婚してからもこれって‥‥そこが微笑ましいといえば微笑ましいといえなくもないけど、穿った見方をすれば行き過ぎた明るさがなにか後ろ暗いことから必死で目を背けようとしているみたいにも‥‥というもやもや。
ところで画面に夫であろう人物が映らないのは、基本的に画面自体が相手役の視界だからのように思い込んでたんだが、見返してみるとこのシリーズは実は夫目線ではなさそうなカメラワークのほうが多い。あれ、普通の三人称じゃなくて二人称の映像ぽいのに、んじゃ見てるのは誰? というもやもやもある気がする。
恋する女性が相手の男性の前で可愛らしい表情やしぐさをするのは、当の相手に恋しているからである。ナチュラルな媚態なのだ。あれでもこれ見てるの夫じゃないよね。この女って素がこうなの? ええー、それはないんじゃないのぉ? じゃなかったらぶりっ子演技だよね。ラブプラスの彼女同士の会話がキモイのと同じだけど、恋人以外の人物の前で自然に恋する表情やしぐさになるわけないじゃん。逆に誰の前でも同じだとしたら、それは策略であり営業だよ。誰のことも特別好きじゃないってことだろうし、つまり化かされてるんだよ、あんた。
総合すると、夫婦にしてはまだ熱に浮かされているようで、お互い生身の部分までは踏み込めていない距離を感じる。結婚してないんじゃないの、あんたら。


それから、待ってる家がハリボテなんだよね。

コレだけ見れば、どうってことない。だがシリーズを通して見ると、細かい違和感が積み重なってなんかおかしい気がしてくる。美人と知り合ってその家へ通うようになったが、実は家のある場所は墓地で、女はこの世のものじゃなかったなんていう怪談すら髣髴とさせる。表面上ほのぼのとして可愛らしいだけに、余計に騙されてる感が強い。
設定を考えるなら、檀れいさん演じる女性は主人公の婚約者だったが、結婚直前に事故か何かで亡くなってしまう。しかし死んでなお生前好きだった主人公の前に幽霊となって現れる。主人公は判っていながらふらふらと吸い寄せられ、本当は何もない荒野なのに化かされて家があるように思い込み、毎日そこに帰っている。そう思うと、妙にノスタルジックなのも、背景がハリボテなのも、それは現実じゃないんだよ! 目を覚ませ! おぉーい、戻って来ーい!! という感じがしてくる。(若干コジツケ)しかし化かされてるのと恋は盲目なのとの相乗効果で、男は目を覚まさない。むしろ夢から覚めたくないようだ。そんな破滅的な匂いがするじゃないか。え、しない?
設定のひとつひとつがすこーしずつ絶妙にズレてるんだよな。そんな現実あるわけない、むしろ成り立たないくらいおかしいじゃん。でも男性からは理想だとかいって支持されてる。*1
ええ〜、ホントにこんな嘘っぱちがいいの?

追記

壇さんじゃなくて檀さんだよ、との突っ込みをいただきましたので、直しときました。ご指摘ありがとう!

*1:もっとも、違和感もひっくるめてファンタジーとして、私はこの箱庭的世界がキライじゃないけどね。