『ねじまき少女(上)(下)』パオロ・バチガルピ

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)
ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)
ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)
枯渇したのかなんらかの原因があるのか、とにかく石油燃料が使えなくなった未来のタイの首都バンコクが舞台である。海面上昇とともに世界中の海沿いの都市はほとんど海中に没しているが、バンコクでは巨大な防潮堤を築き12機の排水ポンプを駆使して古都を防衛している。設定の詳細は判りやすく説明はされないが、読めば燃料の変遷と温暖化、遺伝子工学の落とし穴などが重なり、世界は大混乱に陥ったらしい輪郭が浮かび上がる。
カロリー企業のあり方が面白かったな。カロリーというのはそのまんま熱量のことであり、化石燃料が稀少になった時代の主力燃料である。熱量をどのようにエネルギーに変換するかというと、変換器として動物を使う。つまり少ないエサで大きな力を出せる動物を開発し、使役するのだ。科学技術はかなり発達しているけども、人々の生活の足元、つまり食糧や燃料は賄えない世界。持てる者と持たざる者の差がどんどん激しくなっていき、上層の人間はゲームの駒のように下層の人間の運命を左右する。現実の現状から予想されうる可能性の、最悪なところを突いてくる。
スラム街の微に入り細を穿つ描写がすごいジリ貧感である。熱帯の暑さ、匂い、圧迫感が目の前に立ち現れるかのようだ。バチカルビはどこかでこういう場所を見てきたのだろうか。さらにそのスラムにいてさえも差別される中国人難民や、存在そのものが違法で人目を憚る人造アンドロイドの目線で語られるのだから堪らない。地獄の釜で焙られるようなどん底の明日の生命をも知らぬ焦燥に満ちている。
アメリカ人らしいアンダースンという男は出てくるのだが、これはつかみの導入部だけで、読み進めるうちにどちらかというとアジア人の目線に寄り添っていく。タイの文化や宗教、華僑の思想が全体に及び、ストーリーに影響を及ぼしていく。
ところでタイトルにもなっているアンドロイドのねじまき少女の製造元は日本企業なのだが、何故か日本だけは往年のスチームパンクへのオマージュなのかパロディなのかアメコミの影響なのか判らないがトンデモなイメージに留まっているんだな。いや、普通に霊視するタイ人の心象が現実に即しているのかどうかも私には判らないけど。しかしそれはそれでねじまき少女の造形が萌えアニメポルノを三次に移したらこうなるという、グロテスクな回答のようで面白かった。日本人の会釈・うなずきながら喋る癖は、欧米文化の人から見ると首がガクガクするビョーキなのかと気味悪がられるというのを、ふと思い出した。