悪夢のマトリョーシカ

とりあえず予定をこなすだけはこなしたので、あとは野となれ山となれ。結果は忘れた頃にやってくる。仕事の関係上似たような経験はわりと多いほうだと思うのだが、何度やっても毎回必ず素直に緊張して本番ではこめかみがパツンパツンになり、終わった途端にきつく縛っていた輪ゴムを外した指先のようにひゅるひゅると楽になる。これを繰り返しているとマゾヒスティックにクセになってきて、実はけっこうキライじゃないのだった。しかし準備段階も大詰めになると妙にピリピリしてケンカっぱやくなったり、やたら覚えたてのことを口走りたくなるのは、情けないから何とかならんだろうかと我ながら思わなくもない。おりゃ中学生か。
とまれ、これにて酒・本・映画・工作・遊びと自ら規制していたものどもが解禁になったので、早速、夜中にポテチを食べながらビールをあおり、知人が書いた本を鞄に入れ、いそいそと明日のレイトショーの予約をする。見たい映画がまだ上映しててよかった。そうでなくともやらねばならないことがあると、目についた本を買い込んで脇に積み上げてしまうので、それが山になっているうちはしばらくお楽しみには事欠かない。
ちょっと無理目の負荷をかけたり忙しいほうが刺激になるのか、そういう時期に限ってあれもこれもしたい欲望が膨れ上がる。妄想も湧く。そして頑張って雑事を片付け満を持して暇になると同時に、何故かやる気も萎んでしまうのだった。上手くいかないものである。モチベーションを保つためだけに、脳へ刺激を与える目的で毎日ドリルを解くのを習慣化しようかと考える瞬間である。これは冗談ではなく実際にやろうとしたことがあるのだけど、今度は目的もなくテンションをかけ続けるモチベーションを保つのが難しくて、なんとなくなし崩しになかったことになってしまった。それでもジョギングする人がたまに休むと気持ち悪いのと同じように、習慣化するまでやり続ければいいことがあるのかもしれないけど、そうなってくるとそのモチベーションをどこから持ってくるのかが問題になり、このまま考え続けるとモチベーションのためのモチベーションのためのモチベーションがマトリョーシカとなって夢に出てきて魘されそうである。追いかければ追いかけるほどぴょんぴょん跳ねまわり、指が届きそうになるとパカッと割れて中から一回り小さなモチベーションが飛び出して、するりとすり抜ける‥‥。