映画:ブリューゲルの動く絵(監督:レフ・マイェフスキ)


ブリューゲル父さんの絵が動くというので観に行ったのだった。が、好みの問題というか解釈の違いなんだろうけど、内容はどうもピンとこなかった。私が求めていたものと違っていたんだろうな。思い込みが強すぎたのかもしれない。
題材にされたのは『十字架を担うキリスト』。ブリューゲル(父)の絵の中でもこれかというのも意外だったし、動く絵というタイトルで丸っこい怪物たちや農民の生活がうぞうぞ動いたら楽しいなーなんて先走っていたので、『子供の遊び』『農民の踊り』っぽい部分もあったのだけどなんかこう、不自然にアーティスティックな演出に馴染めなかったのだ。
風車の中身には「おおっ」と圧倒されたし、衣装・美術は素晴らしい。それだけに楽しめなかった自分が残念である。
映画を観た後に検索していて見つけたのだが、REALTOKYOでの監督のインタビュー『055:レフ・マイェフスキさん(『ブリューゲルの動く絵』監督)』がとても面白い。むしろ裏話のほうが興味深いというか、こういう話を知ってから映像を観たら一味違ったかもしれない。読んでから観に行けばよかったな。


何がピンとこなかったのか、一応書いておく。これまた長いので畳む。
16世紀当時のフランドル地方といえば、昔ながらの貴族主義の社会体制から庶民の上層階級が力を持ち始めたあたりなのだな。ごく大雑把に、フランス・スペイン勢力は貴族社会でカトリック、ベルギーやオーストリア・オランダあたりは商人階級の地位が高くてプロテスタントが優勢である。あのへんはごちゃごちゃしすぎていて正直よく判らんのだが、フランドルをスペイン・ハプスブルグ家が支配→ネーデルラント独立戦争→北部ネーデルラントが独立、というあたりか。ブリューゲルがいたであろう現在のベルギーにあたる地域はちょうど北部と南部の境目。スペインの支配がどーのといっていたからブリュッセルにいたのかな。
さて、最近読んだ本の受け売りによると、カトリックは宗教画が大好きでキリストも聖母マリアもバンバン描かれた。宗教画というのはお約束のオンパレードで、白百合なら純潔=聖母マリアだとか棕櫚は殉教者の印だとか、小道具にもいろいろ意味がある。水色のツインテールでネギ持ってれば初音ミクというのと同じで、文脈が判らないとただのキレイな絵になってしまうのだな。貴族階級ではそうした認識が共有されており、肖像画ひとつとっても見るだけで描かれたのがどんな人物でどういう絵なのか判断できた。それがいわゆる教養というヤツである。庶民にはそういうのはよく判らない。
いっぽうプロテスタントでは偶像崇拝がNGなので宗教画は嫌われた。そしてこの時代までの庶民階級はほぼ文盲で聖書は読めなかった。そんな事情もあってプロテスタントでは宗教画はダメだけども、キリストの教えに導くための絵には人気があった。ブリューゲル七つの大罪などユーモラスで露悪的なアイロニーに満ちた版画や、逆に7つの美徳や聖書の場面を多く描いている。日本の地獄絵図みたいなもんだろうか。
そしてネーデルラントでは貿易によって力を持った商人階級がパトロンとなったことで、それまでの貴族趣味のキラキラファンタジーに溢れた絵画から、庶民が親近感の持てる質実剛健で地味な絵に需要ができてきた時代でもある。現実を理想化せず普通の人々の堅実な生活をありのままに生き生きと描き、プロテスタント的にはこうした地に足のついた日常が良いのだとする絵である。ブリューゲルはふたつ名に『農民の画家』といわれるほど、そうした庶民の生活を丁寧に何枚も描いている。もっとも、同じ絵をカトリック側から見れば「だから貧困はダメなんだ」と解釈できるものでもあるらしいのが、さらにクールなところである。ロック魂すら感じる。
画家も職業なのでパトロンの望む絵を描くことになる。ブリューゲル自身は教養をそなえた人物だったようだが、宗教的立場は公言していなかったのだそうな。身の振り方が難しい時代だったのかもしれない。
それを踏まえて映画を観ると、画家個人の宗教信念はともかく、件の絵はキリストの受難であり、宗教画である以上カトリック向けに描かれたんだろうなと単純に思い込んでいたのだが、違うのだろうか。あの絵画蒐集家のおっさんの立場はなんだったのか、特別リベラルだったのか、映画ではそもそもが違う解釈だったのか、もっと複雑な事情が背景にあるのか。さらに人間の暗愚さをクローズアップした内容に鼻白む。もう少しユーモアと愛があれば何とかなったかもしれない。なにより虚飾を排除したブリューゲル現代アートのミスマッチにちぐはぐさを感じて、なんかノレなかったんだよなー。
ただ私のは聞きかじりのテキトー耳学問なので監督の意図が読みきれてないだけかも判らん。作中で説明された部分については納得できたものの、とにかく台詞が少ないので各場面の状況がよく飲み込めなかった。もうちょっと講釈してくれんかのー、思わせぶりだけどよく判らんのー、というのが正直な感想である。