松井冬子展 世界中の子と友達になれる @横浜美術館


作品のタイトルに《優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する》だとか、《この疾患を治癒させるために破壊する》だとか、《陰刻された四肢の祭壇》だとか、情念の迸る抽象的な文章が並んでいる。こうした感情が先走ったような表現は、とにかく私の苦手とするところではある。しかしそこにあった絵は、冷たいほど理知的に光っていたのだった。
ご本人もともすれば妄執の対象になりそうなほど物凄い美人である。しかしその目は強く、鋭い。絵描きであるというのは大変なことなのだな、美しさというのは凡人が気にもとめないことまで乗り越えた結果なのだろうな、と諸々説明されずともたちどころに諒解されてしまう凛とした佇まいだ。『美人すぎる○○』とか『〜すぎて震える』という流行の言い回しがあるけども、それをまともにやるとこうなる見本のようである。普段、何の気なしに軽く使っている慣用句の虚しさが恥ずかしくなる。
美しいのは当たり前で、芸術とはその先にあるものなんだそうな。
理性ある狂気。情念も突き抜ければこうなるのか。


松井冬子展 世界中の子と友達になれる