『白檀の刑〈上・下〉』莫 言

白檀の刑〈上〉 (中公文庫)

白檀の刑〈上〉 (中公文庫)

白檀の刑〈下〉 (中公文庫)

白檀の刑〈下〉 (中公文庫)

清朝末期のドイツ租借地を巡るいざこざを縦軸に、愛憎入り乱れる人間模様が乱舞する。なにより清代の極限まで洗練された処刑のさまがつまびらかに活写されているのが凄い。各章は頭部、腹部、尾部と身体になぞらえられていて、真ん中の腹部だけが三人称で頭部と尾部はパートごとに一人称の人物が入れ替わり、心情がそれぞれの口から余すところなく語られる。その様はとにかく濃く激しい。
人間関係は狭い範囲で錯綜していて、まず美人の眉娘は県知事の銭丁に首ったけである。その眉娘の実父・孫丙は猫腔(マオチャン)と呼ばれる芝居の師匠であり、ドイツ人襲撃の際の民兵を扇動した政治犯でもある。銭丁は役人なので愛人の父を捕らえなければならない立場である。眉娘の夫は小甲といってちょっと足りない感じの男だが、その父で眉娘の舅にあたる趙甲は朝廷で長年罪人を処刑してきた主席処刑人である。そこへ中央高級役人の袁世凱や銭丁の正妻や町の乞食たちなどが絡み、それぞれの思惑によって事態はこんがらがっていく。
中間管理職の銭丁は板ばさみにあって血を吐くほど悩み、処刑執行人の趙甲は芸術的な処刑を行うための美学を貫き通し、眉娘は銭丁がいなければ日も夜も明けず、小甲はときどき人々が動物に見えるのでそれで周りの人間の本性が判ってしまうが、だからナニということもない。これが良くも悪くも匂いたつような筆致で描かれるので、眉娘の作る天下一品の犬肉料理は美味そうだし、乞食が群れる破れ寺のなかは目に沁みる刺激臭がしてきそうである。濃密な恋心のあまり糞に塗れ、メンツを汚されて胃液が逆流するほど怒り狂い、髯自慢の顎を皮膚が剥けて血が流れるのも構わずむしりとる。こうなってくると見栄も虚勢もあるなんていうのは可愛いもので、誰もが自分に正直すぎて周りに迎合せず一歩も引かないその激情がいっそ眩しくなってくる。
政治犯に対し一番インパクトがあって周りへのアピールに最適な処刑法を選択し実施せよ、というのが話の骨子で、途中でいくつかの処刑法が趙甲の体験談として詳細に語られるのだが、最終的に選び取られるのがタイトルの白檀の刑である。名前だけ聞くと白檀なんて香木が使われていてなんだか風流な印象さえあるが、その詳細は実にえげつない。残酷さまで突き詰めて芸術に到達しているのが中華の怖いところである。
考えてみれば濃密な人情ものというのは中華のオハコだった。水滸伝三国志もほぼ人情で動いている。それどころか人情がインフレを起こして大義となり戦争になっている感すらある。感情がすべての礎であり感情で何事も決着がつくのは東アジア共通の情緒なのかもしれないが、日本のハンパなお涙頂戴と比べると中華のそれはすべてにおいて苛烈で豪快で斟酌なしに一線をやすやすと越えてくる。「みんなの笑顔のために」とか「暗い過去」とか「大事な気持ち」とかいうような紋切り型の甘っちょろい感傷など、中華製の激流に呑まれたらひとたまりもなく粉砕されそうだ。
ああ凄いなぁ、中国大陸は。読み終わってしばし呆然としたのだった。