読了:『須賀敦子全集 第1巻』須賀敦子

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

何故か物事の中心にいる。本人が積極的に売り込んでいるわけではないのに、タイミングよく凄い仕事に巡りあえたり強力な人物と知り合えたりしているようにはたからは見える。本人はもちろん頭も良くて行動も起こしているのだけど、同じくらい能力があってもどういうわけか不出世な人というのもいるものだ。不思議だけど引きが強い、“そういう役回りの人”というのは存在する。
須賀敦子氏はイタリア文学の翻訳者として知られる。アントニオ・タブッキは彼女の手に拠る翻訳が多い。20代の後半から30代のほぼ全部をイタリアで過ごした。そこで最愛の夫と出会い、イタリアに日本文学を紹介する形で翻訳しながら生きて、やがて夫は病に倒れて亡くなっている。それから何年かで彼女はひとり帰国して大学の非常勤講師をしていたという。50代後半からイタリアでの経験を随筆にしたためたのが本作である。全8巻の全集の第1巻にはデビュー作「ミラノ 霧の風景」と第二作「コルシア書店の仲間たち」と単行本未収録の「旅のあいまに」が収録されている。若い頃の思い出にのせて、ミラノの霧に沈んだ街角から次々といろんな人物が顔を出すような、なんだか小説のような味わいのある顛末が綴られている。
だいたい語られているのが1960年代のイタリアである。私などの感覚ではほぼ小説の世界である。その時代にイタリア(もともとはフランス留学だったらしいが)へ留学した日本人というのも珍しかっただろうし、まして女性ならなおさらである。政治活動の熱気も「当時は」ということになるし、お金持ちの老嬢を通して垣間見えるヨーロッパ上流階級の目の眩むような生活だとか、なんだか永遠に手の届かない本物を目に見ることさえ叶わない夢物語のようである。
そこで冒頭の話に戻るのだが、読んでいて彼女はまさに“そういう役回り”の人だったのだろうなととても感じた。あと10年若いときに読んでいたら嫉ましさに悶えたかもしれない。言葉の端々から硬質な光を備えたなにかが零れ落ちるのである。一概に幸せな人生だとは言い切れないのかもしれない。むしろロールモデルなしに異国の地で道を切り拓くのは精神的にも物凄く大変だっただろう。しかしだからこそ、同じ空気を吸ってみたかったと希求してしまうような魅力を感じる。単に私個人が彼女のようなタイプに弱いだけかもしれない。