映画:リアリティのダンス(監督:アレハンドロ・ホドロフスキー)


うむ、素晴らしい。もっと観念的で難解な映画なのかと思ったら、全然そんなことはなかった。マジックリアリズムを映像化するとこうなるのね。呪術的なあり得ないことが当然のように立ち現れ、ひとも必要以上に驚くでもなく乗っかるような形でそれを利用する。不条理でシュールな事象であり、美しいことばかりではないし汚いこともバカバカしいことも含まれる。なんにしろ理由はよく判らない。このマジックリアリズムというやつが「なんにせよどうにもならないこと」を表しているような気がしてならない。
監督のホドロフスキーが書いた自伝が原作だというが、こちらは未読である。しかし松岡正剛の千夜千冊「リアリティのダンス」を見る限り、原作通りではなく、どうやら冒頭部分のトコピージャに住んでいた子供時代の話になるようだ。街の人々は灰色で、山の上の人々は尾羽を打ち枯らしたカラスのような白茶けた黒。子供の目からみると、確かに大人の世界はそんなふうに見える。描かれているのは子であるホドロフスキーの目から見た、父であるひとりの男ハイメの一生を賭けたというか、一生かかって辿り着いた思想の変遷である。自意識の格闘とその結果になぜか心を揺さぶられる。その最愛の妻サラは(子供目線なので当然かもしれないが)太母を思わせる不可思議な存在となっている。
ホドロフスキー本人のことが知りたくて観た人には、ひょっとしたら肩すかしだったかもしれない。しかし生い立ちを語るものとしても、これ以上のものがあるだろうか。