マシュー・ボーンの「白鳥の湖」 @東急シアターオーブ


突然思い立ってバレエを観に行ってきた。マシュー・ボーンの「白鳥の湖」である。バレエを生で観るのは初めてである。2週間くらい前に熊にチケットを探してもらったのだが、何故か11列目の真ん中へんが取れてしまったという。初心者なのにすいません。まあ通によると「2階席が至高」という人もいて前のほうならいいってもんでもないらしいが、オペラグラスも持ってない身としては随分贅沢な席なのは間違いない。そしてどうやら主役がダブルキャストのうち豪華ゲストのマルセロ・ゴメス氏の回に当たったらしい。本当にどうもすいません。カーテンコールだけは撮影していいということだったので、撮ってきた。

ご存知の方には何を今更という話だろうが、この公演では白鳥を男性に置き換え、従来の儚くも美しいお姫様白鳥から大胆にも力強い野性動物としての白鳥へ転回されている。それにつれて物語の構造も変わっていき、原典が男女の悲恋を歌い上げるものであるなら、今回は王子の激しい葛藤を描くものとなっていたのだった。
王子は父が不在であるため少年が男になるための「父親を乗り越える」という通過儀礼が得られないのだな。白鳥が男性になったことで、従来のオデットの役割の一部はガールフレンドに分割されている。オディールにあたる黒ずくめのザ・ストレンジャーは王子自身がそうありたかった理想像であろうし、欲しかった立場を横から掻っ攫っていく憧れと憎悪の入り交じる悩ましい存在となる。オデットであれば「本当は若い高貴な女性だけど悪い魔法使いに呪いをかけられて白鳥にされた」という出自だけど、この場合の白鳥はあくまで野生なのだろうな。そうしてリーダーが人間と親しむことを群れは許さずという形で、王子の心の拠り所と苦しみの内的葛藤を表す。王子は脱皮に失敗したのだな。

物語はそうだとして、それにしても実際に生で観たときのあの圧倒的な説得力はなんなのだろう。バレエは無声である。言葉では一切説明されない。音楽と衣装、そして細やかな舞踏によってなにもかも表現されるのである。重力すら感じさせない動きでふわりと浮きたち、その非現実感が感覚を物語の次元へトリップさせる。感情の再生装置である音楽にのせて場面ごとの叙情を動きで表す。言葉がないということはこちらが読み取らないといけないので目が離せない。そうやってずっと集中して舞台を観ていると意識がすっぽり目の前の世界に嵌ってしまい、時間の経過や話の展開がこう、体感に近いところで認識されるのかもしれない。現実にはナレーションなんかないもんな。
これは面白いものだ。初めてだったので他と比べることはできないけれど、非常に素晴らしい体験であった。