「説明しよう!」(突然始まるナレーション)

先月の受かる気がしなかった試験(→参考)だが、何故か受かっていたらしい。お蔭様で来年はさらに劣化しているであろう脳みそを絞り上げなくて済むのは有難いことである。ただこれは1次の筆記試験にすぎず、このあとの2次試験である実技も自動的に受けねばならないことになる。しかし実技というだけあって筆記よりも対策の立てようがない。立てようがないので、どうにかなるだろと思うほかない。
こういうことを言うと、じゃあ対策は全く考えないし出題傾向の確認もしないのかっつーことになるが、天才じゃあるまいしそんなわけはない。凡人なりに出来ることは潰す。それでも尚、やりようがない部分があるという意味である。先日も書いた無計画であるという話も、本当に何も考えていない怪奇無計画人間だったらワープアから社畜への華麗なる転身などできるわけがない。ざっくりした見通しを立てて先のために我慢すべきと判断したら心を無にしてできない我慢もする。南無。考えに入れない部分はいったん俎上に乗せて自分の求めるものの方向性と比較検討した上で無視することに決めている。具体的にはブログを書くことによる承認の部分とかな。また電気が苦手だと事あるごとにぼやいているが、それは仕事としては扱えないという話である。芯がいくつの電線かとか動力と単相の違いとか弱電と強電とかトランスやキュービクルといった基本的なところはおさえているが、その扱い方や施工の仕方、細かい材料などはよく判らないし、図面も描かない。描かないよ!(←たまに描かされている)家電の配線なんかはおそらくちょっと詳しい素人さんよりも判ってない。一応とはいえ仕事で扱うこともある人間としてはこれは恥ずかしいことだ。だから電気は苦手だとぼやくのである。かように人によって『当たり前』の尺度は違う。だから文字だけの付き合いは難しい。難しいとはいえ、ときどきイイトシして行間が全く読めない人がいるのにも吃驚する。
とはいえネットでしか付き合いがなければ情報が少ないので仕方ないところはある。こちらも高々と意識を掲げて「こんなふうに頑張ってます!」「こんな気持ちで努力してます!」などと青い所信表明するのは美意識に反するし、周りがバカに見えて仕方ない思春期のように他人の事情も苦労も考慮せず重箱の隅に向かって罵倒しまくるのも黒歴史に直結しててタテガミが逆立ってチリチリしてくるので、そんな主張したくない。口幅ったいのも野暮天だしね。今の私にとってはこれが『普通』の感覚である。すると話の選択肢はおのずと狭まってくるのだな。適当にへりくだり、自己主張はほどほどに、できるだけ楽しいことをネタにして面白おかしく粉飾する。見える部分がこれだけだったら人物の判断などしようもないというものだ。しかし文字だけのネット上の付き合いどころか、リアルに面と向かって誇張を真に受けて真顔で説教されると凹む。私って人徳ないんだなぁ、という部分で。見てれば判るだろ、判らんか、普段の言動からしてもそこまで素で阿呆だと思われてたのか、と。まあ実際阿呆なんだろうな。評価は他人がするものだしな。そうか、では私は生まれつき強いから弱者の気持ちが判らなくて他人任せで我儘ではた迷惑で何もしてないのに結果だけ手に入れてる卑怯者なのかぁ(アホ面)。今だからいうが、人から見たらその程度なんだなとけっこう自分にガッカリしたわ。
思った以上に他人は見てないどころか説明しても聞いてないし全然通じてないもんなんだなぁ、理解しあうなんて幻想だというけどシャレにならないくらい本当に本当なんだなぁ、とここ数年来実感している。しょうがない。それが現実ならば幻想のお花畑を後にして『だったら何が困るのか』という荒野へと軌道修正していくしかない。