ホビット 決戦のゆくえ(監督:ピーター・ジャクソン )


ホビット三部作の完結編である。指輪物語を踏まえて膨らませに膨らませた物語の大団円。原作も一度読んだのだけどよく覚えておらず、こんな話だったのかと思いながら映画を観ていたのだった。
これまでの2作品はテンポのよいアクションが楽しいジェットコースタームービーだったが、ここにきてダークサイドが剥き出しになる。指輪物語にしろ、ホビットにしろ、欲望というものの持つどす黒い力とそれを克服する気高さがテーマになっている。指輪物語ではすべてを統べるひとつの指輪を巡って様々な思惑が絡み合い、ホビットでは先祖伝来の財宝を挟んで争いが巻き起こる。指輪物語ではボロミア、ホビットではトーリンのように、目端の利く賢い人物ほど物の利用価値に目敏く、宝の持つ力に幻惑される様が描かれる。より賢いガンダルフは惑いを受けぬようハナから触ろうともしない。一方で森の奥方であるガラドリエルは、指輪の誘惑に打ち勝って見せることで、強い力を持つ者としてその相応しさを体現する。それほどまでの精神力と気高さを持たなければ克服できない抗いがたい誘惑というもの、それをあっさりと背負ってみせるのが素朴で頑固なホビットなのである。映画ホビットでも、ドワーフの王が血眼になって探している宝玉をビルボはお手玉でもするようにあっちからこっちへ移してみせる。
トールキンの語る気高さは、欲の皮を突っ張らせずに地に足を付けて生きることの崇高さに通じている。この辺の思想は絵画における初期フランドル派を思わせる。貴族主義を脱し庶民を中心に据えたそれは、それまでの煌びやかさとは別の豊かさを表現したものだった。ただ、そのホビットもすべての欲望から自由なのかというと、ビルボがこっそり指輪を我が物にしてしまうように、そんな完璧超人はいない。そんな清濁併せ呑んだバランスが物語に奥行きを与えているのだな。