映画:ゴーン・ガール(監督:デヴィッド・フィンチャー)

まだ観てない方もおられるだろうし、あんまり内容について云々するのも如何なものかというのは判っているのだが、中身に触れず感想を書くのは至難の業になりそうな映画だったので、とりあえずネタバレ注意とだけ喚起しておく。

いろんな観方がある中でわりと言い難いのだが、私は妻のエイミーに感情移入していた。あそこまでやったらサイコだわな、というのは重々承知しているのだが、その基本となる心情は判らなくもないのだ。
子供のころに流行っていたマンガに「おはよう姫子」という作品があった。

主人公の姫子は『スポーツ万能で人当たりの良い明るいロングヘアの美少女。男子からも女子からも好かれる一方、勝気で美人の同級生に嫉妬されることも多い』というスーパーヒロインである。なにをやっても上手くいき、周り中に好かれているので助けてもらえ、ピンチに陥ってもラッキーでいつの間にかより良い結果になっている。面白くもない日々に疲れた心を慰撫するためにあるような内容に私もすっかり嵌っていた。小学女子版・島耕作。しかし現実はマンガの中ほど単純ではなく、実際の生活はしょうもないことで親に叱られたりクラスメイトと上手くいかなかったり苦みを噛み締める連続の中に、たまさか嬉しいことも挟まっているくらいなものである。それが当たり前なのも充分理解しているのだが、ふとどうしたら姫子のようになれるのだろうかと、ギリギリした希求に胸を締め付けられることが全くなかったとはいえない。映画に出てきた絵本の『アメイジング・エイミー』は、たぶんこれなんだなとピンときた。妻のエイミーは、幼少時から絵本と比較され完璧を求められ続けて認知が歪んだというのが順当だろうが、それはそれとして自らの中にそれを求める気持ちもあったのではなかろうか。
さて、姫子でも完璧なエイミーでもいいが、これを実現しようとしたらどういうことになるか。持って生まれた才能と幸運だけですべて上手くいくなんてことは現実にはあり得ないので、再現しようとすれば物凄い努力と周到さが必要になるのだ。そりゃ多少の打算や上手く立ち回ったり物事を準備するなどはある程度は誰でもやっている。あくまである程度は、だが。しかしなにもかも支配しようとしたって現実は複雑系なので、計算し尽くしたつもりでもだいたいは別の要因が絡んできてそんなに思った通りにはいかない。パターゴルフの最中にうっかり札束の詰まった財布を落としてタチの悪い奴に目を付けられてしまうように。嘘の証拠を作るということは何もないゼロの状態から創り出さねばならず、準備には物凄く手間がかかるし我慢も必要だし、挙句にそんないじましい努力が水泡に帰したらそれはそれは惨めな気分になるものだ。そうね、だったら同じやるにも事実を重ねていったほうが破綻が少なく効率も良いので、まともな人はそっちを選んで大人になっていくんだよね。それでも不幸な目に遭うときは遭うけどね。ライターをクビになるとか。絵本と違って現実は世知辛い。いや、フィクションを地でいこうとするのが間違っているのだが。
そもそもは夫のニックが浮気したのが事の発端だし、そのニックがエイミーの気に入るようにテレビで呼びかけたら、あっさり喜び万難を排して(まさに排除して)戻ってきたり、見方によってはずいぶん可愛らし‥‥くはないか。ここらへんの見せ方が非常に上手くてブラックユーモアの域に達している。映画の煽り文句に「あなたは愛する人のことをどれだけ知っていますか?」というのがあったけど、ニックは夫だけあってエイミーをよく理解していたわけだ。血液型をおさえているかなど本質的にはどうでもいいのだ。オチで弁護士が「アンタたちはイカレてる」といって手を引いていたけども、これをどっちもどっちの犬も食わない話、で纏めるフィンチャーもどうかと思うよ! 面白かったよ!