映画:バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ)

ちょうどナーバスな時期で、Twitterを眺めながら「他人って(自分の期待通りじゃなくて)つまんないなー」などと勝手な感慨を得た直後にバードマンを観たもので、つい私には関係のない話だな、と思ってしまったのだった。
仕事でナーバスになってる人間の頭ん中なんてあんなもんだろう。私も現場やってる時は鉄面皮を装着して各方面にゴリ押ししてなんとか上手く纏めようとするし、その反動でしょっちゅう死にたくもなる。
先行した噂に振り回されるけどいざ幕が上がってしまえばあの批評家など実は関係ないし、ネットで評判を取るのは本人が望むような内容でではない。飛ぶシーンは不恰好で笑えたが開放感は確かにある。
ネット批判も古すぎてバカだし演劇に代表される芸術のイメージもアホすぎ、カーヴァーに励ましてもらったという「いい話」も陳腐。しかし華やかに見えるブロードウェイ役者の実情なんてそんなもんで、それが悪いということではなくて周りも含めてごくありふれた普通の人間だということだ。するとそんな男がヒーローを演じていたというのが今度は皮肉になってくる。エドワード・ノートンがやってたマイクも、娘とのやり取りを見ればいうほどエキセントリックでもなくて至極まっとうな男だしね。
衆愚、浅はか、レッテル貼り、夜郎自大な自意識、演劇対映画みたいな無意味に単純化した対立に誰それの機嫌を損ねるとお終いだなんて笑えるくらい先鋭化した権威主義。最近の世相をひとりの男の内面に集約してみせて皮肉ったものなのかね。
しかし問題は、そんなことは教えてもらわなくても既に知ってるということだ。その先がない。