1月あたりに観た映画

並べてみたら非常にスカしたラインナップになったわけだが、体調が思わしくなくてすぐ疲れるので、ここで観ておかんともう観ないだろうなという映画を優先したらこうなった。ハリウッド大作はなんだかんだ観る機会があるからね。

ひつじ村の兄弟(監督:グリームル・ハゥコーナルソン

アイスランドデンマーク合作である。アイスランド辺境、極寒の地で先祖代々羊を飼って生活の糧にしている村に、グミーとキディーという兄弟が住んでいた。兄弟といっても老齢である。こんな辺境で嫁のきてなどないらしく、ふたりとも独居で家は隣同士(といっても数十メートルの距離がある)、喧嘩して以来40年ほど口もきいたことがない。そんな村でキディーの羊に疫病が発生し、隣近所すべて殺処分しなくてはならなくなる話である。そもそも寒すぎて植物も碌に生えないので、たぶん羊を飼うくらいしかできることがない。そんな土地で政府主導の殺処分が淡々と行われていく。
政府と個人、病気と家族。勝ち目はないのかもしれない。そもそも勝ち負けではないのかもしれない。でもまあ、やるしかないこともあるのだ。

独裁者と小さな孫(監督:モフセン・マフマルバフ

ジョージア・フランス・イギリス・ドイツ合作である。ジョージアってどこだアメリカか、と思ったがそんなわけない。旧グルジアのことだな。
絵に描いたような独裁者がクーデターによって幼い孫を連れたまま追われる身となる。羊飼いや旅芸人に扮して追っ手を逃れようとしながら、市井の様々な人と出会い、元政治犯と行動を共にすることになり、いろいろありすぎて並べると答えの出ない禅問答のようになってしまう思想がただ流れていく。だだっ広い荒野にコンクリートの箱のような建造物が建ち、人の背丈ほどもある枯草が風に揺れ、どこまでいっても寒々しい。人の営みはどこまでいっても虚しいとでもいうように。最後はあまりに説明的でナニのソレだけども、孫が変に小賢しくなくてそのまんま子供だったのがよくて、それが妙にシュールだった。

ジプシーのとき(監督:エミール・クストリッツァ

1988年公開の旧ユーゴスラビア映画である。政変のせいでクストリッツァ監督の初期作品はオリジナルフィルムが残っていないらしい。そのせいでいままでDVDも出ていなかった幻の作品だったのである。「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ!」でリマスター版なのかよくわからないが上映するというので観に行ってきた。
ジプシーは国に縛られない放浪の民族だが、WW2以後の定住化政策によって東欧を中心に村ができている。ユーゴにあるそんなジプシー村のひとつに生まれたベルハンの成長記である。片目で誠実に生きていた少年は、いつか両目を開いて生き馬の目を抜くような渡世をするようになり、太陽に近づきすぎたイカルスのように墜落する。ジプシーの魂の在り方というのか、なにものにも囚われない自由さとはこういうことか。しかもそれが円環構造になっていて最後にはふりだしに戻るのだ。ああ、ジプシーのとき、なんだな。火祭りの光景は鳥肌がたつようなシュールさで、そういえば教会があちこちに出てきたけどこの人たちの宗教ってどうなってるんだろうな。

オデッセイ(監督:リドリー・スコット

原作が楽しかったので映画もコメディ寄りに作ってあるといいなぁ、と思って観たのだが、そこまでコメディ寄りではなかったけど、これはこれで良かった。防水シート1枚を隔てて吹っ飛んだら一巻の終わりの轟々と吹き荒れる嵐の音に耐える夜があり、ケチャップの量はストレスのバロメーターで、軽妙に振る舞いやることがなかったら逆に気が狂ってしまうようなギリギリの状況がひしひしと伝わってくる。なんだかんだの末に最後のチャンスとなる打ち上げでは否が応にも盛り上がる。しかしダメ押しのアレはどうなのかね、1年半も宇宙服が必要な環境で過ごした人だからいわゆる『馴れ』があって無茶してるってのも面白いけど、実際のところどうよ、と思ったのだった。そういえば音楽がディスコサウンドなのが原作でもしつこくブツクサ言っていたところで、その通りに上手いこと浮いてて監督すげぇ。