残りの自由時間

部屋の模様替えをしている。いままでは賃貸だし引っ越すかもしれないし、あんまり手をかけるのもどうなんだろうなという気分があってなんとなく適当にお茶を濁していたのだが、ここが人生で最後の自分だけの自由になる空間かもしれないと気が付いたのである。パブリックな場所ならば床は滑らないようにとか下手を打つヤツが絶対いるからここにこれはダメだとか、そういうユニバーサルデザイン(バカ合わせともいう)で考えなければならないのだろうが、自分の部屋だけは自分が使いやすく満足すればそれでいい。ああ、小さくともそんな心が満されるような場所があってもいいではないか。このちっぽけな住処に自分だけの居場所を求めるのはそんなに贅沢なことだろうか。自分の稼ぎで自分の手を使って整えるのである。どうせなら誰に見せるためでもない、自己満足の極北をいきたいものである。
生きてるとなんかこう、ちょっとのことでいいから自由にさせてよ、と思うことが多々ある。本当に自由な人なんか何処にもいないのだろうし、ずっととは言わない。誰かのためでも仕事のためでもなく、純粋に自分のためだけにひと時を過ごしたいのである。服を着ても髪を伸ばしても下手すると自分の好きなものを食べるのでさえ、ナニカするといちいち「誰かのため」だとか「男のため」だとか外部から理由づけを押し付けられると、もやっとして仕方ない。不愉快というほどでもなく、考えてもみなかった頓珍漢なことを言われて「ハァ?」となる程度のことなのだが、なんだか息苦しい。下手をすると勝手に「そういうこと」にされる。大した影響はないので流して放置することが多いのだが、なんで私は自分の意思や好みがないと思われてるんだろう、と不思議にもなるし人格を無視されているようでそこはかとない不快感が残る。
なんだろう、私には私の生活やリズムがあって、合わせるところは合わせているのだからそれ以上は求めないでほしいというのはおかしなことだろうか。ささやかな自分の都合や好みや人格や生活があるというのは、そんなに我儘なことか。そういうことを押し付ける人は、自分が他人に何を求めているのか判っているのだろうか。自分の人生を生きるなということか。
だったら私はいなくなった方がいい。