映画:ワンダーウーマン(監督:パティ・ジェンキンス)


四の五のいう男どもを尻目に銃弾の雨の中へ果敢に飛び込んでいく胸のスカッとする女傑映画だった。しかしダイアナ役のガル・ギャドットは美しいね。頭蓋が前後に長い長頭種だ。
ジャン・バルジャン化したバットマンにしろ、孤独に押しつぶされるスーパーマンにしろ、標榜する正義が大義名分に成り果てて支えきれなくなってるんだよね。なんでもルールを参照してからじゃないと行動に自信が持てない、言い換えると価値判断の基準が自分の外側にあるわけだ。外部に基準を求めていると早晩矛盾した問いに煙を出して壊れるAIみたいな限界がやってくるのね。
正義に限らず、人間の判断というものは突き詰めると好悪に落ちていくものなのだ。それを理解したうえで、常に悩み考え続けよりよく生きるとはどういうことなのか実践していくのが茨の道なのである。判断し行動したらどんなに苦しくともその責任を自分で持つのが大人というものだ。責任ってなんだろうというと、とどのつまり自責の念だったりするんだけどな。
女神ダイアナはそういうことが直感で判っているのだな。だから悩まない。
そんな最近のマーベル映画へのアンサーだったのではないかな。