捻じ曲がっていく我慢

大昔のことだが、思い出してしまったので書いて供養しようと思う。

ホームセンターの工作室を借りて棚を作ったことがある。そこには暇なおっさんがいて、私が板を組み立てていると「どれどれ、やってやるから貸してみな」と親切ごかして手を出してきたのである。

いや待て。わざわざ材料を買って趣味で好きでやってるのに、なんで楽しみを横から掻っ攫われなくてはならんのだ。私は当然断った。あ、結構です、と。そしたらおっさんはカチンときたんだろうね、私の目を盗んでシラ~っと小さいパーツを持っていきやがった。そういうタイプのおっさんの行動原理はなんとなく想像がつく。ゴミ箱を探したら案の定入ってたので普通に拾った。なんなのかと思ったら、スタッフでもなんでもないただの近所のおっさんが、材料も買わずに工作室に入り浸って利用者にああだこうだ口出ししてたらしい。

こういうのを「人の厚意」といわれても困るのだ。そしてここまで極端ではないにしても、世の中にはこの類が「厚意」としてまかり通っている場面はけっこう多い。断るとこの時のように「分からせるために」嫌がらせをされたり、少なくとも「人の厚意を素直に受け取れないへそ曲がり」扱いされたりする。

他人の内面や事情が自分の思い通りじゃないからといって、逆切れするメンタル。おかしくないか。こっちからしてみたらいきなり横槍入れられて邪魔された挙句になんで悪者扱いされなくちゃならんのだ。

という話を人に愚痴ったら、「そういうのをちゃんと断れなくていい顔しといて、こっちに話をもってこられてもね」と言われたことがある。

目が点になった。ここまで捻じ曲がった理論が通用するなら、もう私なんか存在しているからダメなんだってことだわな。こういうのの連続が女の日常である。いうまでもないが男女差あると思うよ。

大昔の話である。我慢するのはとっくにやめていまがある。

 

貰い事故の件数も年齢に反比例して減っていってはいる。が、根本的な部分では何も変わらない。

どうせ話なんか通じない。この世は不条理ホラーなんである。そういう下敷きがあるのでなるべく平易にキッパリハッキリ意思を伝えるようにしているのだが、今度は「強がってる」という曲解が入ってくる。しまいにゃ本人の弁より他人の思い込みの方が正だとゴリ押しされる。ここまでくると訂正する意義すら見出せない。ああ人は信じたいことしか信じないデスネー。こんな細かいことはどうでもいいデスネー。宇宙猫の顔で真理を悟ってしまいそうだ。

 

さて問題です、こういう日常を過ごしていたらどういうメンタルになるでしょうか。

  1. 本当はアバンチュールを楽しみたいけど、イケナイことだから我慢するもん
  2. 四六時中誰かに守られてなきゃ不安!
  3. なにもわかんな~い、えー、男の人ってすごーい!!
  4. 男の人ってバカで可愛い(はぁと)
  5. あの人を怒らせる私のほうが悪いの…

はい、倍率ドン!!!(正解があるとは言ってない)