映画:アラビアンナイト 三千年の願い(監督:ジョージ・ミラー)


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変奏アラビアンナイトである。昔々あるところに‥‥と未来からみたら現代が昔にあたる態で映画は始まる。物語の専門家であるアリシアが仕事で訪れたイスタンブールで記念として古びたガラス瓶を買い、ホテルの洗面所で磨いていたら蓋が外れて魔人が現れる。魔人は3つの願い、心からの願いを言えと彼女に迫るのだった。誰もが知っているお伽噺の「ランプ(ここでは瓶)を磨いたら魔人が現れて」「3つの願いを叶えてくれる」という骨子はそのまま、細部は若干変えつつモチーフが位置を変えて対応していくのが見ていて面白い。

それにしてもティルダ様はふとした拍子に無邪気な少女のような顔をするのがもうね。あの年齢も性別も超えたチャーミングさはなんなのか。

お伽噺はよくわからないことが起きたときに人々を納得させるためのものであり、科学が発達するにつれてお伽噺は駆逐されると専門家であるアリシアは喝破する。お伽噺の象徴である魔人が居場所を喪失したら、人々は魔人を喪失するのだ。それはどういうことか。映画は2部構成のようになっていて、ホテルの部屋を出たその先が描かれる。物語というのは突き詰めると内側へ向かっていくのだな。

人にとっての愛とはなにか。映画を見ながら思い出していたのはヴィクトール・フランシスの「夜と霧」だった。ヴィクトールがあの収容所の中で生き残ることができたのは絶望の中で妻への愛が希望となったからだったという。ところが解放された後に調べてみると、別の場所に収容されていた妻はその頃には既に亡くなっていたらしい。ヴィクトールの心理としては当時はそのことを「知らなかったから」なのはもちろんだが、しかし愛を感じるのに目の前に対象が存在することは必須ではなかったわけである。つまり対象が生きていてもいなくとも、ときには存在すらしていなくとも愛には変わりないのではないか。愛というのは完全にひとりの人間の内的なできごとなのである。それはなんと豊かな孤独だろう。

この入れ子になった物語の解釈にはいくつかの選択肢がある。その中のひとつが「最初から最後までアリシアの想像である」というものだ。しかしだとしたら何だというのか。アリシアが愛し愛されたいと願った対象は何だったのか。これは寓意に富んだお伽噺なのである。絢爛豪華なめくるめく世界の、悠久の時を超えた壮大な物語。充分に成熟した大人の愛と孤独についての物語。