映画:エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(監督:ダニエルズ(ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート))


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観る者を困惑させる怪作「スイス・アーミー・マン」の監督だそうである。マジか。

前作よりは話がまとまっていた気がする。というか、やりたい放題やるために取ってつけたようなテーマを乗っけて観るものを無理やり納得させているような感触がある。しかしその取ってつけたテーマが予想外の効果を発揮してなんだか深い話に見えてくるのが、これを狙ってやってるんだとしたらスゲェ。この「適当が偶然の効果を生んだ」嘘から出た真みたいなこと自体がこの映画のあり方そのもののような哲学的な怪作となっている。

最近はマルチバースというらしいが、つまりパラレルワールドのことか、と思ってしまう年代である。タイムスリップしてタイムパラドックスがどうとかいう分岐した世界線の多次元宇宙的なアレね。

ところでフィクションを見聞きしていてなんとなく腑に落ちないことはないだろうか。物語上で世界線を飛び越えたとして、そんなにテーマに即した世界へたまたま行けるものだろうかと。何でも有りならもっと無意味で滅茶苦茶なはず。そう思ってはいてもあくまで物語なのでそうしないと煩雑になるから創作としてはそうせざるを得ないのだろうが、まあ予定調和だよな、と。あと異世界物でも世界を救うでも、頭のおかしいことに巻き込まれてんのにすんなり馴染みすぎ。もっとカオスなんじゃないの、というのが実にリアルに描かれていた。つまり観ていても主人公と同じであっちの話とこっちの話が取っ散らかって何が何だかわからず前半は非常にストレスフルなのである。この映画はどこに向かっていくのかと訝しんでいるうちに巻き込まれていくのがまさに「体験」という感じで面白かった。あと取っ散らかった無関係な話がごちゃごちゃやってるうちにいつの間にか、本当にいつの間にかなんとなく収斂したりそうなんだからしょうがないてことになってるんだよね。どういうことなの。

世界線を飛び越えるのに必要なことは頑張りではなく脱力というのも良いし、その手段ができるだけバカバカしいことをするてのがまた良い。下ネタだけピックアップして「これが人間の本質だ!」といわれると鼻で笑ってしまうが、下ネタも汗を流した努力も含んで包括的に清濁併せ呑むというならその通りだと思えるし、戦うだけでなく優しさも武器になるというのは頑張りすぎのアナタへの救いにもなるのではなかろうか。やっぱ狙ってやってんのかなぁ。凄いなぁ。

最後はわりかし東洋的なアンサーなのではないかと思う。「今」「ここ」を大事にするのが修行の一環というのは仏教でもあるね。映画もアメリカの中国系移民の家族の話となっているのだが、中国系移民の今の描写が妙にリアルだったな。私は実際を知らないので本当にそうなのかどうかはわからないけども。なんにせよとにかく国税局は敵なんだなということはよくわかった。