活動量と運動量は比例しない

街道散歩記事を2回連続してあげてしまったが、今年のGWはカレンダー以上に休んだけど他に何してたっけ。なんかだらだらしてたような気がしてよく思い出してみたら、宅内引越ししてバッグをひとつ作って街道を8km歩いてジャケット類を洗ってた。充分、活動的だった。家から一歩も出てない日が複数あった気がするが、インドアで活動していた。よしよし。放っておくと4~5日くらい本当に何もしないで垂れ込めていたりするので危ないのである。でも今回は大丈夫。下駄箱作製には手が届かなかったが。

仕事はいろいろと監査の絡みで二転三転し、なかなかに思い出に残りそうな気配である。また暑い夏がやってくるんだな。

その前に資格試験をまた受ける予定なのだが、全然勉強をしていない。GWこそ勉強すべきではなかったかと思い至るもののあとの祭りである。しかし私はいつまで試験を受け続けるつもりなんだろうな。ライフワーク? 職業柄あったらいいなという資格が多いだけで資格マニアなわけではない。重ねていうが好きで受けているわけではない。確かに若干楽しんでいる節はあるが、どうせやるならいやいややるより積極的になったほうがマシな部類の事柄だからだ。もちろん給料に資格手当もつく。

あとねー、ものによっては会社に何名の資格保持者がいるかで入札資格が変わってくるんで、資格取得に積極的だと社内評価に繋がりやすいんですよ。社内政治とか繊細なことやれないんで、出来ることを増やし外から評価を引っ張ってくることで強引に壁をぶち壊すスタイル。ここで生きることを承認せよ。

 

東海道を歩いた(品川~日本橋)

去年のGWから始めた東海道を歩くシリーズ、連休なんてどこ行っても混んでるし高いし、なんて理由で始めたのだった。今年も同じ理由が浮上するわけだが、しかしこないだの続きだと今度は江の島あたりなのでむしろ混んでる観光地である。ふむ、そういや最初に歩いた時は途中から途中までだったので品川までしか歩いてないんだよね。東京側を補完しておくか。去年の終着地点は品川本陣の聖蹟公園だったので、京急本線の新馬場駅に降り立った。

駅を出たらすぐにこんな看板があった。北馬場町

そして品川神社

正徳寺。

始点に辿り着く前にチェックポイントが次々と現れる。

はい、ここが品川本陣跡、聖蹟公園。去年の終着点である。

そこから旧東海道ルートへ抜けると、あ、こっちが入り口だったのね。1年越しで知ったわ。

虚空地蔵。厨二心がくすぐられるネーミングである。

この辺は街灯デザインが旧東海道推しの商店街となっている。

東海道品川宿の石垣の石。

袋井宿の街道松 三。

台場横町の看板。

問答河岸跡。問答河岸とは

問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。家光の「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたと伝わります。

問答河岸の碑 | しながわ観光協会

八ツ山橋のあたりに品川宿の案内看板があった。歴史を意識したデザインですな。

八ツ山橋は鉄道線路の上に渡された陸橋で、初代ゴジラに壊されたらしい。

陸橋を超えるとこんな幹線道路、国道15号線になる。

品川駅の前を通り過ぎる。

今度は高輪海岸の石垣石。

チェックポイント高輪神社。

道すがら、こんなのがあったので階段を上ってみると

立派なお稲荷さんが鎮座していた。

四十七士で有名な泉岳寺

天保7年築造の中門には素敵な階段があった。立派なお寺さんでトイレとベンチがあり観光客がまったりしていた。

チェックポイント高輪大木戸跡。ここが江戸と外の境目で、旅人を送迎する宴が張られた茶屋が多くあったらしい。

御田八幡神社。昔は農作物の出来を占った釜鳴り神事は近年は景気の行方を予想するそうな。

札の辻交差点の歩道橋から臨む東京タワー。地名から高札場だったんでしょうなぁ。

田町駅前で待望のお昼。てんぷらの油とめんつゆが疲れた体にしみわたる。出るのが遅れた上に寄り道しまくったので昼食の時点で14時である。今日中に日本橋まで歩けるのか。

田町駅からしばらく北上すると「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地」の石碑。このへんはオフィス街で両側にビルが立ち並んでいて、もとから江戸市中で都会であったためか格別な東海道の痕跡があまりない。

芝大門

芝大神宮。

道路の反対側から適当ショットの日比谷神社。

新橋駅を横目にとにかく道なりに歩く。

銀座の柳二世。明治時代に銀座通りの街路樹だった柳の木を接ぎ木して保存したものらしい。東京はなんかこういう訳の分からない歴史物があるよね。

新橋の親柱。いまは埋め立てられているけど、ここは昔は二級河川の汐留川が流れていた名残りである。

旧東海道は銀座のホコ天だった。

京橋の親柱。京橋川は江戸時代に開削された人工の河川だったらしい。そういや時代劇では柳が植わった掘割があるイメージがあるね。よく考えたら銀座は銀貨鋳造所だったから銀座なわけで、明治以降の銀座の柳とイメージが混濁しているな。

ずんずん歩いて、あれが、日本橋である。

着いたー! 日本橋ー!

麒麟像。

あれの真下が道路元標か。実物は車がビュンビュン走っている道路の真ん中に埋まっているらしい。

橋のたもとには元標広場があっていろいろ重要文化財になっている。

はー、今回も疲れた。8kmちょっと、脇目も振らずに歩けば2時間程度だが寄り道しつつお昼も食べて4時間くらいかかった。股関節が痛くなりかかっている気配がする。

ビールと焼肉でお疲れさまでした。

東海道の続きを歩いた(戸塚~藤沢)

いままではわりと線路沿いだったので途中リタイヤできる安心感があったのだけど、今回の戸塚-藤沢間は線路が大船を経由しているので東海道ルートから少し離れている。7.7km、googleマップだと徒歩で2時間ちょっとだが、1時間も歩けば疲労が蓄積してペースダウンするものである。それにこういうのは寄り道してなんぼ、楽しくなければ意味がないだろう。というわけで、今回はちゃんと午前中から始めることにして10時半開始である。そんな事情で長いのでお暇なときにどうぞ。

はい、前回の続きから、内田本陣跡。昼飯を楽しみにして歩くよ。

チェックポイント脇本陣跡。

澤辺本陣跡。ここが戸塚宿の中心ですな。

八坂神社。

戸塚宿見附跡。上方のほうだな。

庚申塔があった。

大坂という坂道をずんずん登る。

石の道標が埋もれていた。この大阪を登ると天下の幹線道路、国道1号線沿いになる。

原宿一里塚。原宿交差点の近くである。

浅間神社入口。

これが浅間神社

ここで目星をつけていたとんかつ屋さんでお昼にした。

おろしひれかつ定食。つゆだくなのは意外だったが、これが出汁に油が溶けてとても美味しかった。この日も暑くてこってりソースはちょっとキツい気がしていたのでいい感じに完食。日焼け止めを塗り直して、再び歩き出す。

道路っぱたに唐突な龍長院の看板と石像群。お寺さんはここからちょっと下ったところにあるらしい。

大磯宿まで五里の看板は大磯にあるかまぼこ屋さんのものらしい。

道路の反対側から適当ショットの諏訪神社。太い道路は渡るのも大変なのだ。

それにしてもこんな殺伐とした幹線道路をずっと歩いていると辛くなってくる。心が。

辛くなったので癒しを求めてそこにあった俣野別邸に寄り道した。

なんかもう別天地である。色んな植物が取り揃えてあって庭木の植物園みたいだ。たぶん1時間くらいいた。

藤沢市だよ!

復刻版松並木だそうな。

一里塚(遊行寺坂)跡。いまは軽く切通になっているが、往時の道は高台を通っていたらしい。

またも道路の反対側から適当ショット。このへんの看板はああいう感じか。

軽い気持ちで入ってみた遊行寺清浄光寺)がえらいでっかく立派なお寺さんでびっくりした。私がもの知らずなだけで有名どころだったんだな。

すんごいな。

同敷地内の奥にあった宇賀神社。

なんでしょうかこの極楽浄土感。

あっこれは弁天様のアレですね! じゃあ失礼します! とクレカを洗っておいた。

八重桜と藤棚が満開だった。ここにもたぶん小1時間いた。

道路の反対側からまた別の諏訪神社

チェックポイント藤沢宿江戸見附。

橋を渡ったら江の島弁財天道標。ここで曲がります。

ほぼ同じ場所にチェックポイント遊行寺橋(旧大鋸橋)・高札場。

このへんは旧街道推しの商店街になっていて、人通りも多くちょっと観光地っぽい雰囲気がある。

チェックポイント蒔田本陣跡。

常光寺。

妙善寺。

正宗稲荷大明神

義経公の首洗い井戸があるというのでちょっと路地に入る。

住宅に囲まれた一角だった。

白幡神社。そろそろ疲れて動きが鈍くなってきた。

今日のゴール、チェックポイント藤沢宿京見附。藤沢本町駅のすぐ近く、16:30到着である。この日の歩数は3万歩近かった。

やりきった。頑張った。ビールがうまい。

最近買って良かった調理器具

最近、じゃがいもの千切りに嵌っている。千切りにして炒めてシャキシャキのものを食べたり、小麦粉と粉チーズを混ぜてフライパンで焼いたり、さっと湯がいてシンプルにそのままいただく。味付けは好きにしろ。ザーサイや高菜漬けと炒めるといろいろ捗るぞ。千切りにすることで新たな食感が得られてじゃがいもの美味しさが広がる。

というのも、ちょっといい千切りスライサーを買ったのだ。

人参や大根を千切りにするために、以前は千切りピーラーを導入してみたりしたのだが、使い方が難しくて最後の方が切れずに折れてビラビラが繋がったフリンジのようになったり滑って手を切ったりしていた。かといってスライサーは薄切り用はいいけど、千切り用は力が必要でつるっと滑ったら怪我しそうだよなぁと躊躇していたのだが、思い切って使ってみたら最近の切れ味のいいやつは凄いね。いうほど抵抗なく切れてピーラーより力が入りやすいので作業が楽だ。手を切りそうなのはそのままなので、樹脂のトゲトゲがついた指カバーを併用している。

大根人参の千切りサラダは言うに及ばず、じゃがいもだけでなく牛蒡をこれで千切りにして金平を作ると口当たりがふわっとした不思議な食感になる。切り方で口当たりが変われば味の感じ方も変わるのだ。

買ってよかった調理器具といえば、最近の出色は千切りスライサーと柑橘類剥き器だな。

1年位前からなるべく果物を食べるようにしている。生野菜サラダのような感覚で果物にシフトしており、大型の柑橘類も当然食べたいわけだ。しかし中の薄皮を剥くのに爪を立てたり端っこを歯で食い破ったりしていると潰れるし手も顔もべたべたになるしで買うのを躊躇するくらい面倒くさかったのだが、これでピッと切ってしまえばあら簡単。剥く手間を軽減したことでしょっちゅう食べられるようになった。いろいろ食べ比べた結果、甘みが強いものより爽やかなほうが好みで八朔や河内晩柑あたりが好きだ。普通にバレンシアオレンジもいいね。

東海道の続きを歩いた(東戸塚~戸塚)

保土ヶ谷~戸塚の途中でへばって東戸塚で帰った前回の続きからである。

壱八家のラーメン

東戸塚の駅前で、まずは腹ごしらえ。

川沿いの道

ここら辺から前回通った道に合流。

東海道の標識

このへんはこういう看板が出ているのだな。東海道の表示関係は地区によってスタイルが変わる。

川に桜っていいよね

ここは桜並木だったんだねぇ。前回と違って今回は満開だ。

海道橋標識

チェックポイント海道橋。

謎の機械

生コン工場の向かいにあったこれは何だろう。

ルート案内看板で道を踏み外していないことを確認する。

神社の看板

なんか神社があるみたいだから寄るかーという軽い気持ちで脇道に入ったらどこにあるのか右往左往してしまった。

あっ、こっち?

人様の家なのであんまり言えないが、掻き分けたら矢印があった。

鳥居…?

辿り着いた瑞穂神社。鳥居ではなく木の間にしめ縄が渡してあった。

瑞穂神社本殿

こざっぱりしていい雰囲気の神社だった。境内にベンチがあったので小休止。

チェックポイント不動坂。

壁の厚さが1mあるらしい

日本初の国産ハム発祥の地、鎌倉ハムの倉庫。今は使われていないらしい。

この橋は渡らない

元舞橋。ここで右に折れる。

渡るのはこっち、五太夫橋。

江戸方見附跡。イオンの駐車場の端っこにあった。

見落としそうな標識

吉田一里塚跡は戸塚一里塚ともいう。ゴミ置き場の目印のようになっていた。

現地

吉田大橋を描いた浮世絵がこちら。

同じ構図?

浮世絵の現状がこちら。

花見日和

吉田大橋がかかる柏尾川も桜が満開だった。

こっちだよ!

戸塚駅前は大踏切デッキが東海道である。

このデッキを降りて向こうのデッキにまた登る。現代の東海道は複雑化していた。

カラフルマンホール

東海道を駅伝が走るマンホール。あ、合流地域なんすね。

今日のゴール

内田本陣跡で今日はゴールする。

トツカーナの中で水分と糖分補給して電車に乗って帰る。

次の戸塚~藤沢は7.7kmあるんだが、線路から離れた区域になるので途中リタイヤがし難い。我々のように散歩がてらで気まぐれに寄り道しながらの軽いノリでやっていると痛い目を見るかもしれないので、次はちゃんと計画的に朝から適宜休憩を挟んで進行せねば。

疲れた身体に寿司が沁みる

デパ地下の寿司で反省会をしたのだった。

服飾事情のシステム化

そういや被服費ってどれくらい? と検索したら、だいたい収入の5~8%なんだそうな。下着・靴を含み、場合によってはリネン類も含む。ただスーツの値段は収入の20%程度、靴やバッグはスーツの50%が妥当とするサイトもある。5~8%というと年収400万円なら月16,667円、年収600万円なら月25,000円である。靴と下着を含んだらそんなもんかなぁ。しかしコートはだいたい高い。まともなコートを買おうとしたら2~3ヶ月分が吹っ飛ぶ。

一方でその服の単価が例えば300円を切るまで回数をこなす、いってみればコスパの考え方もある。これでいくと1万円の服を買ったら34回は着なければならず、5万円のコートを買ったら167回である。コートを着る日数は12月~2月だとして年間で90日、毎日同じコートを着て1.8年、償却するのにほぼ2年間かかる計算である。もっともちょっといいコートなら10年着られるイメージではある。そういうコートは、うーん、8万円~かなぁ。8万円だと266日、毎日着て3年かかるな。2日に1度だとその倍、3日に1度だと3倍である。そう考えると高いコートは10年着て妥当なのか。

逆算すると月の支出額も出る。靴・下着を含めて1日5つの服を着ると仮定して300円×5つ=1500円/日→1500円×30日=45,000円/月という計算になる。45,000円を5%とすると年収は1080万円、8%だと年収675万円になる。3ポイントの差で結構違うな。これが年収400万円なら14%、500万円なら11%である。1着200円に設定するのか、100円まで頑張るのかは各々の経済状況によればいいか。可処分所得は単純に年収に比例しないしな。ちなみに200円を8%としたときの年収は450万円、100円で225万円である。計算が面倒くさいのでExcelでやっている。

こうしてみるとスーツの値段が収入の20%というのは突出している。いったい年間に何回着て何年着続ける想定なのだろうか。年収1億円の人が年間に20着作るとして1着100万円ですよといわれれば、そうですか~(雲の上過ぎてわからん‥‥)と遠い目をするだけだが、年収1千万の人が年間5着作って1着40万円ですっつったらノータイムで「掛けすぎじゃね?!」と突っ込むよな。うん、きっとそういう話ではないんだな。これがスーツ1着の値段が月収の20%程度ですよというなら、月収30万円なら6万円くらいのスーツを着ておきなさいよということになるので、まあそうかと納得できるか。6万円のスーツを償却するには単価200円にしても300回着ないとならんけど‥‥と裏で計算してしまうけども。

それでも年の半分の期間を3着で着まわせば5年、微妙だな~。スーツを単価200円で計算するのは厳しいな。単価300円なら3年ちょっとなので現実的なラインぽいな。という具合に仕事着がスーツの人は服飾費がけっこう掛かるのね~、と理解できる。この計算で年収1千万円の人のスーツの値段は15~17万円程度になるが、あ、ハイ、ここまでくると画一的な割合計算はあんまり意味がないですね。ちなみに私は年に2回しかスーツを着る予定がないので月収の20%も掛けていられない。そんだけ期間が開くと体形変化で着られなくなる危険性が大きいし、スーツは意外と流行りによってシルエットが変わるのだ。ちょっと前までシングルの3つボタンだったじゃん!(それは10年前です)

なんでこんな話をしているかというと、季節の変わり目なので通販で被服の仕入れを行ったのだが、まとまると結構なお値段になるのでどれくらい使っていいものなのか調べてみたのだった。

そういや私が苦手とする買い物は実店舗でのものだということがわかってきた。実店舗だと現実世界で処理しなければならない情報量の多さに加えて運動量と寒暖差を伴う店巡りに対応する体調調整、目の前にある商品の取捨選択や店員さんが話しかけてきたりの瞬間ごとに決断力・判断力が求められる状況に疲労困憊してしまう。そこへもってきて通販だとマイペースで吟味出来てだいぶ楽なのだ。なんなら気になる商品をカートに入れたまま何日か考えてもいいなんて最高か。なのでもっぱら買い物は通販を利用している昨今である。

ついでにワードローブを管理するアプリを導入してみた。

jusclo.comこのアプリは使用回数でコスパを出してくれるのがちょっと面白い。ここ数年は激務対応のため平日は洗濯しないで済むように、下着・靴下を含めてワードローブは1週間分揃えて運用するシステムにしている。そうしてみると同じとっくりセーターを着続けたジョブスほどではないが、私は自分が納得した基準で機械的に管理するのが意外と嵌るんだな。いままで知らんかったけど。基準をはっきりきっぱり決めてしまえば迷いがなくなって楽になる。迷うということはリソースを使うということなので、迷ってる間はずっと疲れるのだ。その基準を決めるためには頭の中にデータベースを構築しなければ納得できないタイプでもある。お洒落なんて機械的なシステムとは縁遠いようだが意外と分析できることがだんだんわかってきた。もっともそのうちカッチリ決まった状態に飽きてまた迷いだすのだが、それもまた人生の季節というものである。

今さらパーソナルカラー

ファッションの世界にはパーソナルカラーや骨格診断というものがある。50年も生きていると経験的にしっくりくる色味や形はなんとなくわかっているものの、しかし理論的に理解していないのでたまに失敗する。買うときにも迷いが出る。それが面倒くさくていっちょ調べてみたんである。結果、ブルべ冬のストレートであった。しかも顔タイプはエレガント。総合すると派手なお色気姐さんである。マジか。実在自体が疑問視されるような素体だな。骨組みだけは。上に乗ってる肉部分のナリが良ければという絶対条件がつくが、そこは掘り下げないでほしい。
ところでブルべ冬というとマウンティングと捉える向きもあるようだが、どうも派手な配色が似合う色白というイメージのせいらしい。私は逆だけどな。このカテゴリーはどうやら赤みも黄色みもない色素の薄いタイプか、逆に両方濃い色黒タイプに分かれるらしい。私は幼少期には周りから土人呼ばわりされた実績のある日本人離れした色黒なのだ。肌色の濃い地方の民族衣装が似合うタイプといえばわかりやすいか。
なるほど、ざっくりいうと白黒灰色紺を着てろということだな。ビビットな色には好みの上で抵抗があるのでそうなる。薄い色で使えるのは灰色がかった色味なので、遠目にはほぼグレーのバリエーションの範疇になってしまう。濃い色で受け入れられるのは暗い赤かピーコックグリーンくらいかなぁ。なんだ、いままでと変わらんなと思ったが、実際に鏡の前で当ててみて合う色ならそうなるわな。いままでのアレとかコレとか思い出してみると納得である。
しかし手持ちの服に色味が少ないのを色遣いが下手なせいだと思ってきたけど、好みと着てしっくりくるものを合わせるとこうならざるを得なかったということがわかった。これからは自信をもって無難な服を着ていこう。
あと肌色が濃いと口紅の色がどれも合わなくて困るのだが、このデンで考えると濃いめのローズか紫がかったヌード系か。アイメイクも黄色みを排除し、なんなら青やグレーでもイケるらしい。あんまり攻めた化粧をするほうではないので、そこまでは試したことなかったわぁ。逆に埋没したいときは茶系や柔らかい色味でまとめれば印象をぼやかせそうではある。TPOに合わせて印象操作もアリかもしれん。いまさら見た目で目立ちたくないというか、そんな攻めの気質だったら今ごろバリバリの原色を着て闊歩してるわ。似合うらしいし。
よし、なんか吹っ切れた。自身の姿というのは鏡を見るか録画した画像映像以外では自分で見えないので、どうも自覚に欠けるきらいがある。私は見えないもんはわからんので仕方ない。逆にみんなはどうして自分のことがわかるのか不思議である。確認できないことであやふやな心持ちになるなら、パーソナルカラーやら何やらで決め打ちできれば気が楽になる。