去年のGWから始めた東海道を歩くシリーズ、連休なんてどこ行っても混んでるし高いし、なんて理由で始めたのだった。今年も同じ理由が浮上するわけだが、しかしこないだの続きだと今度は江の島あたりなのでむしろ混んでる観光地である。ふむ、そういや最初に歩いた時は途中から途中までだったので品川までしか歩いてないんだよね。東京側を補完しておくか。去年の終着地点は品川本陣の聖蹟公園だったので、京急本線の新馬場駅に降り立った。
駅を出たらすぐにこんな看板があった。北馬場町。
そして品川神社。
正徳寺。
始点に辿り着く前にチェックポイントが次々と現れる。
はい、ここが品川本陣跡、聖蹟公園。去年の終着点である。
そこから旧東海道ルートへ抜けると、あ、こっちが入り口だったのね。1年越しで知ったわ。
虚空地蔵。厨二心がくすぐられるネーミングである。
この辺は街灯デザインが旧東海道推しの商店街となっている。
東海道品川宿の石垣の石。
袋井宿の街道松 三。
台場横町の看板。
問答河岸跡。問答河岸とは
問答河岸は、かつて北品川の海岸にあった波止場の名前。三代将軍徳川家光が東海寺に訪れた際、沢庵和尚がこの辺りまで出迎えて禅問答をしたという話が『徳川実記』に記載されています。家光の「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」という問いに、沢庵和尚は「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と答えたと伝わります。
問答河岸の碑 | しながわ観光協会
八ツ山橋のあたりに品川宿の案内看板があった。歴史を意識したデザインですな。
八ツ山橋は鉄道線路の上に渡された陸橋で、初代ゴジラに壊されたらしい。
陸橋を超えるとこんな幹線道路、国道15号線になる。
品川駅の前を通り過ぎる。
今度は高輪海岸の石垣石。
チェックポイント高輪神社。
道すがら、こんなのがあったので階段を上ってみると
立派なお稲荷さんが鎮座していた。
四十七士で有名な泉岳寺。
天保7年築造の中門には素敵な階段があった。立派なお寺さんでトイレとベンチがあり観光客がまったりしていた。
チェックポイント高輪大木戸跡。ここが江戸と外の境目で、旅人を送迎する宴が張られた茶屋が多くあったらしい。
御田八幡神社。昔は農作物の出来を占った釜鳴り神事は近年は景気の行方を予想するそうな。
札の辻交差点の歩道橋から臨む東京タワー。地名から高札場だったんでしょうなぁ。
田町駅前で待望のお昼。てんぷらの油とめんつゆが疲れた体にしみわたる。出るのが遅れた上に寄り道しまくったので昼食の時点で14時である。今日中に日本橋まで歩けるのか。
田町駅からしばらく北上すると「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地」の石碑。このへんはオフィス街で両側にビルが立ち並んでいて、もとから江戸市中で都会であったためか格別な東海道の痕跡があまりない。
芝大門。
芝大神宮。
道路の反対側から適当ショットの日比谷神社。
新橋駅を横目にとにかく道なりに歩く。
銀座の柳二世。明治時代に銀座通りの街路樹だった柳の木を接ぎ木して保存したものらしい。東京はなんかこういう訳の分からない歴史物があるよね。
新橋の親柱。いまは埋め立てられているけど、ここは昔は二級河川の汐留川が流れていた名残りである。
旧東海道は銀座のホコ天だった。
京橋の親柱。京橋川は江戸時代に開削された人工の河川だったらしい。そういや時代劇では柳が植わった掘割があるイメージがあるね。よく考えたら銀座は銀貨鋳造所だったから銀座なわけで、明治以降の銀座の柳とイメージが混濁しているな。
ずんずん歩いて、あれが、日本橋である。
着いたー! 日本橋ー!
麒麟像。
あれの真下が道路元標か。実物は車がビュンビュン走っている道路の真ん中に埋まっているらしい。
橋のたもとには元標広場があっていろいろ重要文化財になっている。
はー、今回も疲れた。8kmちょっと、脇目も振らずに歩けば2時間程度だが寄り道しつつお昼も食べて4時間くらいかかった。股関節が痛くなりかかっている気配がする。
ビールと焼肉でお疲れさまでした。