子供を育てるのは大変だが、育てられるのも大変だ。

『女は独身のうちは親に仕え、所帯を持ったら夫に仕え、老いては子供に仕えよ。』
そう言い聞かされたと、昔日の母が言っていた。少し自嘲気味に、少し可笑しそうに。


一本立ちできない女は、子育てをすれば子供に自分の人生を預けてしまう。だけど子供はいつか裏切るものだ。子供に去られた女は、人生も共に失ってしまう。
・・・・ちょっとハードボイルド風味だわね。
老いたら子供に仕えるつもりでいたのに、子供にイラナイ言われたら、そりゃ困るよな。でもイラナイけど。


想像だが、母の世代の女は面倒を見てやるという甘言と引き換えに、足腰を立たなくさせられていたのだろう。本人の意思とは関係なく、貴人の足に巻かれた纏足のように。本当は貴人なんてとんでもない、自分の身は自分で守らなきゃならない庶民なのに。
それで自由を奪っておいて、女のすべてを守れたかというと、社会はそこまで大きくも強くなかったんだろうな。そりゃそうだ。貴族は数が少ないから社会に寄生できるんであって、人口の半分がもう半分を面倒みられるかってんだ。子供や高齢者を入れたら、もっと多いか。


中高年のリストラで生活費の捻出が難しくなった家庭は多いと思う。再就職が難しいとしたら、代わりに主婦が多少なりとも働きに出るのが合理的な打開策だろう。
しかし私の周りには、生活費がなくて二進も三進もいかないのに、働きに出ない・出ようとしない女性が何人かいる。多分、彼女たちは「働く」というコマンドを持っていないのだ。太宰の小説の母のように。
それが一般的だとは思わないけれど、そういう人も実際にいる。


庇護されているうちは、目に入らないものがある。自由の風は礫まじりだし、けっこう冷たい。