id:ghomaさんへのお返事

遅くなりました。すみません。長くなりそうなので、記事にします。

おそらくpaseyoさんと私は同年代じゃないかと思うのですが・・・。

そうですね、多分、同じ年代ではないかと私も思います。

第二次世界大戦が、キッツイ母親(or父親)にどのように影響しているか、に興味がある今日この頃です。

ああ・・・・大戦、戦後、高度経済成長は、彼らの人格形成を説明するのに、外せないかもしれませんね。
ウチは核家族というやつなのですが、両親の実家(隣町同士)は田舎で、大戦中なら戦地ではなく疎開先になるような土地です。当然空襲も少なく、召集された兄の中には戻ってこなかった人もいるものの、本人たちはその頃はまだ幼くて、兵隊や軍備工場にとられる年齢ではなかったようです。
父方の実家がある土地はいわゆる上田が多く、ええと、各戸でそれぞれそれなりに収穫量が上がる自前の農地を持っていたので、農地解放もあまり関係なく、大戦中・戦後の物不足の時代も、飢え死にするほどではなかったらしいです。父は当時の田舎には珍しく、大学を卒業しています。つまり貧しいことは貧しいけども、とにかく早く食い扶持を稼がなければ家族が飢え死にするというほどは、経済的に逼迫してはいなかったのだと思います。父方の祖父は、私が生まれる前に亡くなっていますが、戦死ではありませんでした。
こういったことを父に聞くと、結構教えてくれるのですが、母に聞くとなんだか煙に巻かれるのです。
母方の祖父は、公務員でした。それ以外は出身地もはっきり判りませんし、どういう親戚がいるのかも、私はよく知りません。大戦中、彼がどうしていたのかも、知りません。もしかしたら職業上、召集されなかったのかもしれません。母方の祖母は、近在の農家の人だったようですが・・・・。
母は若い頃、成績優秀で学校の先生に大学にいくように勧められ、本人にも行きたい気持ちはあったものの、当時の田舎では「女が大学に行ってどうする」という空気だったことと、なにより実家が貧しくて行けなかった、と聞いています。あながち見栄だけではないように思います。
母の場合は能力もあり向上心もあったけども、ジェンダーと貧困によって道を阻まれた、といえると思います。その上、生きた時代があの高度経済成長期で、頑張れば頑張るほど伸びていくのを目の当たりにしているのですから、漠然とやれば出来たはず、という気持ちは強いのでしょう。
それはそれで不幸なことだと思いますが、何かをやれば成し遂げられたかもしれないとしても、実際にはやっていないわけで、やれば漏れなく付いてくる苦労も当然していないのです。実のない憧れと悔しさで夢想するばかりで、世の中を簡単に考えすぎるきらいはある気がします。これはあくまで私の母についての、私の印象ですが。
そういった不全感から娘を自らの乗り物にしようとするなど、そこら辺は私にはどうでもいいことなのです。
両親はいま、実家を出ている私に「次男坊と結婚して、子供が小学生になったら戻って来い、この家はお前にやる」と言います。ただの願望なのでしょうが、娘の運命は自分の思い通りになると勘違いしている節もあり、ここまでズレてると、なにを言っても通じないな、と諦めてしまいます。つか、病院に連れて行ったほうがいいのかしら。