想像で

「夢がない」と兄をなじる妹の図を想像すると、どうも自意識過剰なサブカル少女の硬直した価値観の押し付け、長じて分別がつけば霧散するような高慢さ、つまり痛々しい若気の至りのようなものを感じる。芸で身をたてようとするにはそうした“思い込める”才能は必要な資質であったかもしれないけども、要するに小五月蝿くて鼻につく子どものイメージが浮かんでしまう。
これが五歳児なら笑って赦してもらえるのだけど、ある程度の年齢がいってからではただでは済まされない。相手の憎悪を掻き立てる行為は、報復されるものだ。それが正しいか否かは問題ではなくて、相手を怒らせればその怒りがこちらを向くというのは当然の帰着だ。
しっかりした大人だったら一喝して諌めてくれたかもしれないが、残念ながら相手も幼かったので怒りと憎しみを溜めるだけ溜めて自分でガス抜きすることも出来ずついに爆発させてしまったという、こちらも若気の至りの極致のような気がする。執拗に何度も殺し、間違っても生き返ってこないように(だろう)バラバラにする過程では、私なら脳内麻薬と肉体労働の快さと内容物の臭いと感触で自制がぶっ飛んで恍惚となりそうだ。
げに自己を押し通し他人を小馬鹿にするというのは、実は相手の出方によっては色んな可能性を孕む、場合によっては生命を的にした賭けでもあるのだ。こうしたことへの想像力の欠如が生命とりとなり得るのは、昔も今も変らないんじゃないか。