映画:ブーリン家の姉妹(監督:ジャスティン・チャドウィック)

あのヘンリー8世をめぐる姉妹の骨肉の争いである。
アン・ブーリンといえばヨーロッパ史ではエリザベス1世の母として有名である。しかし姉妹のうちメアリーが先に寵愛を受けていたというのはどうやら史実らしいのだが、近年まであまり知られていなかったとか。ただ、映画のストーリーは若干ひねった見方になっていて、基幹は外さないものの史実とはちょっと違っているようだ。吉良側から見た忠臣蔵みたいなもんか。(たぶん違う)
二転三転する人物模様は、昼メロのような怒涛の愛憎劇である。衣装もきれいだしね、奥さん、面白いわよ、この映画!
ところでwikiを見たらメアリーはフランス王のフランソワ1世の愛人でもあった、ともいわれているそうな。もしそうならイングランドヘンリー8世と国境を越えてライバル同士の王様ふたりがひとりの女を取り合ったことになる。ひえぇ〜、まさに文字通り国を股にかけた‥‥あわわ。
アンが黒髪で細い体型だったのに対し、メアリーは金髪でふくよかなタイプだったといわれている。当時の美意識ではメアリーのほうが美女の条件に当て嵌まっていた。アンの子どもは後のエリザベス1世ひとりきり、一方でメアリーの子孫はウィンストン・チャーチルやらチャールズ・ダーウィンやら超弩級の有名人が数々出ている名門となっている。そうしてみるとアンは気丈だけども不器用なツンデレだったのかしらと思うと、親子だなぁと変な感慨があるし、なんだか親近感が湧いてくる。ちなみにアンとメアリーのどちらが姉で妹なのか、実はよく判ってないらしい。
以下、映画にあわせてちとおさらい。


ヘンリー8世といえば、イングランドにおける宗教改革を断行し、六人もの妻を次々と変えたことで有名である。しかもそのうちのふたりを刑死させている。一方で当時の戦国時代ともいえる荒れた国際情勢のなかで、身体能力に優れ絵に描いたような才能ある君主として辣腕をふるう苛烈な指導者でもあったらしい。
この映画の姉妹のうち、姉のアン・ブーリンは彼の二番目の王妃である。まるで色香に溺れた王をそそのかす傾国の美女のように描かれているが、実際のところはどうなんだろ、とちょっと眉唾な気がする。なにせヘンリー8世は頭の切れる酷薄な男のイメージが強い。
最初の王妃であるキャサリン・オブ・アラゴン*1は、もともとヘンリー8世の兄の嫁だった。そのお兄さんが若くして亡くなったら、弟が王位と嫁を受け継ぐというのはよくある話である。当時の王族は政略結婚だしね。しかし実際のところ、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンは仲睦まじかったといわれている。
三歳上の姉さん女房で、ふたりのあいだの子どもは何度も妊娠したものの流産と死産が重なって、成長したのは娘のメアリーのみだった。よくできた女性だったらしく、王がフランス遠征中で留守にしているのを狙って攻めてきたスコットランド軍を夫に代わって撃退したり、国民からの評判も高く、追放され監禁に近い生活になっても近隣の住民から慕われていたという。
世継ぎの男子が欲しいのはヘンリー8世の個人的な思惑を超えた国家の問題でもあっただろう。それまでイングランドが女王の下で安泰だったことがないともいわれていた。キャサリン・オブ・アラゴンを離縁したのは、彼女が四十八歳のときで、そろそろ健康な男子を期待するには無理のある年齢になったときである。このときヘンリー8世は四十五歳。結婚したのは1509年、離婚が1533年で、つまりそれまでの二十四年間はふたりで仲良くやっていたということだ。キャサリン・オブ・アラゴン自身がカスティーリャアラゴンの王女という強力なバックボーンを持っていたので、おいそれと粗略に扱えないという事情もあったのかもしれない。
キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚に関してヘンリー8世は、はじめのうちは順当に教皇庁に願い出ていた。そんで却下されてやおら態度を変えた。しかしけっこうギリギリまでローマとの和解を模索していたらしい。最終的には破門されたけどな。
この頃のヨーロッパの国際情勢は、ごく大雑把にいうとローマ・カトリックを頂点にして、それぞれの国が群雄割拠している状態である。国ごと宗教改革するということは、ローマを中心とした国際社会から孤立することを意味する。アン・ブーリンも気丈な女性だったのかもしれないし、王の背中は押したのかもしれないが、この映画のストーリーのように女がそそのかしたからってほいほい国教会を作るわきゃない。他のボンクラ王なら判らんが、相手がヘンリー8世じゃそんな生ぬるい話はちょっと考えにくい気がするのは私だけか。
当時のイングランドはヨーロッパでは辺境の二流国だった。英仏百年戦争の後におこった内紛である薔薇戦争の爪あともまだ生々しく、国力も疲弊していた。フランスやスペインなど列強が虎視眈々と国土を狙っている。力強い世継ぎの男子が欲しい理由は、娘がひとりだけで女王になる場合、他国の王太子との縁談が持ち上がる可能性が高いからというのもあったんじゃないか。その王太子はいずれ出身国の王になるわけで、生まれてくる子どもは両方の国の王になる公算が大きい。するってーと、ふたつの国は同君主をいただく国になってしまうかもしれない。それってどういうことかというと‥‥という話なわけだ。
そして宗教改革とはお金の流れの話でもある。当時の教会税は教皇庁の直接税で、国は素通りだった。それをそれぞれの国で宗教の首長を王にすれば、ローマに流れる金を国庫に納めることができるという事情もあった。
ところでイギリス国教会というのは一般にプロテスタントに分類されるけども、いわゆる清教徒ピューリタン)とは違うらしい。ヘンリー8世は実は信条としてカトリックそのものだったし、その後のエリザベス1世も政策的にローマからの影響を阻止したかっただけで、完全にカトリック社会と袂を分かちたいとは思ってはおらず、「中道」といわれるカトリックプロテスタントが共存できる現実的な路線をとっていたという。
しかしこのヘンリー8世、国教会を作って自由に離婚できるようになった途端、次々と五人も妻を変えたんだよな‥‥。

*1:長いが彼の妻たちに「キャサリン」があとふたりいるのだ。ちなみに「アン」もふたり。「メアリー」もこの映画の妹のほうと、ヘンリー8世の妹と娘も揃って同名。つか、名前のバリエーションが少なすぎだろ。