映画:アバター(監督:ジェームズ・キャメロン)

下半身不随になり、車いす生活を送るジェイク(サム・ワーシントン)は、衛星パンドラにやって来る。彼は人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂げ、不自由な体で単身惑星の奥深くに分け入って行く。慣れない土地で野犬に似たクリーチャーに襲われていた彼は、ナヴィ族の王女(ゾーイ・サルダナ)に助けられる。

賛否渦巻く『アバター』であるが、私は大変楽しめた。相方さんの手回しでIMAX3D、しかも劇場やや前方ど真ん中という好条件で観られたお陰で、オープニングからあっさり向うの世界にもっていかれた。3Dメガネは確かに重かったけど、パンドラの珍しい風物の場面などは目を奪われて完全に集中しまくったので軽い鼻梁の痛みなど忘れていた。映画が終わったときには、『もっと飛んでいたい』とさえ思った。てか、素直にすんごかったよ。
ストーリーは確かに単純などこかで見聞きしたことがあるような出来だ。しかしそれくらいでちょうど良かったんじゃないかな。あんまり意外性のあるこみいったお話をみせられても、あのぶっとんだ映像の前では霞んでしまう。
例えばアナタは交差点で横から来た車に5m吹っ飛ばされたことがあるだろうか。私はある。その瞬間にどこから落ちれば怪我が少ないかとか、そもそもあと3秒早く出ていればよかったのにとか、信号無視してきた車のドライバーを非難するとか、小賢しいことを考える余裕なんかあるか。少なくとも私にはなかった。ふいに思いもよらない衝撃を受けてふわりと重力がなくなり、どっちが上で下なのか、何も理解できないままアスファルトに叩きつけられていた。気がついたら硬い地面に転がっていて何故か動くことも出来ず、その時点でもまだ自分の身に何が起きたのかよく判らなかったし、痛みすら感じなかった。肩口を持ち上げられ、路肩に曳きずられて初めて「ああ、交通事故か‥‥」と認識したくらいである。幸い、そのときは私のほうも原付でヘルメットを被っていたので、怪我は打撲と少しの擦過傷で済んだ。病院で飛ばされ方を褒められたが、そんなものたまたま運よくそうなっただけで意識してできるもんじゃないわい。極端な喩えだが、巻き込まれる体験というのはそういうことである。ちょうど推理小説ならいろいろ冷静に考えながら読めても、いざ現実の自分のこととなるとからきし判らなくなるようなものだ。
そして圧倒的な情報量の差がそこにはある。普通の映画が自分から切り離された安心して楽しめる作り事だとするなら、この3D映画はその世界に取り込まれてしまうような体験型アミューズメントである。肩慣らし的な予定調和のお話でも充分な衝撃だ。いま思ったが、これでホラーだったら凄く怖いだろうなー。そういう意味ではこの映画は3Dでなければ意味がないだろう。それと私は去年、IMAXではない方式で3Dアニメを2本観た。個人的な感想だが今回の『アバター』はそれとも比べ物にならなかった。これから観るなら、そして可能なら、多少お値段は張るが是非IMAX3Dで鑑賞したほうがいい。それだけの価値はある。
また、この世は理屈だけで動いているわけではない。勢いや名状しがたい理由というのもある。何故なら我々は人間だからだ。巨大なものに対する畏怖、説明できないけど何物に代えても大事にしたくなるものもあるんじゃなかろうか。そうでなければ何故に世界遺産なんてものがあるのだ。理屈ではない。その場に行ってみれば判ることというのもある。つい3ヶ月ほど前に駒ケ岳の千畳敷へ登ったが、あのとき見た光景や体験はやはり特殊なものとして忘れ難い。どれだけ言葉を尽くしても写真を並べても、その場に身を置いてみなければあの感覚は味わえない。ミーハーといわれようが非科学的態度といわれようが、屋久杉やマチュピチュやカスバもその場に行ってこの目で見て感じたいと思うもの。
この『その場に行ってみれば判る』をより深く表現出来るかもしれない方向性を示したのが、この3DCGではなかろうか。世界遺産なら実際に旅行に行くことも可能だが、フィクションの世界ならどうか。これから内容もどんどん進化していくんだろうと思うと楽しみでならない。この技術でクラークの『楽園の泉』が観たいなぁ。特に霊山スリカンダの寺院の場面を。