気難しいことを言ってみよう

私は記憶をなくしたことがある。正確には、思い出せない記憶を持ったことがある。
順を追って説明すると、生い立ちから始まる身の上話になってしまうので、端折って説明しよう。
まず、幼児の頃から十年間、集団生活に馴染めなかった。他人とのコミュニケーションが絶望的に下手だった。砂場では一緒に遊びたくないと逃げられ、誕生日会には呼んでもらえず、気持ち悪いと避けられた。この十年で学んだことは、私はモンスターだということだった。このままでは、目の前にいる相手、延いては社会に受け入れてもらえないということは、幼いながらもなんとなく察せられた。成長しながら、何とかこの溝を埋めようとし続けた。
多かれ少なかれ、人は自分の考えと社会道徳を分けて考え、その摺り合わせを行っていると思う。ソトヅラという言葉がある。他人に見せては拙い考えを口に出さなかったり、役割を演じたりするのは誰でも行っていることだ。その程度が大きかっただけだが、幼い私は個人の志向と(両親を含めた)社会との軋轢に耐えられず、精神的な病になった。続く五年間を、私は心を閉ざして無為に過ごした。
その次の五年間、私は私である記憶を封じ込め、社会に適応した自分を私として生きた。つらい記憶だけでなく、家族との思い出も、学校での出来事も、もやもやと霞んで思い出せなくなった。他人に気を遣い、行動し、あまり考えず、殆ど違う人格として過ごした。そのまま死ぬまで生きられたら、それはそれで幸せだったかもしれない。
過去の自分から逃げるように、私は私を痛めつけた。過剰なほどすべてに努力し、他人から良く思われようと緊張し続けた。昼間は事務をして夜はコーヒーショップでアルバイトをした。その他に資格を取るために勉強し、夜学に通った。睡眠時間は毎日四・五時間程度、休日は勉強していた。身体は痩せて鶏ガラかミイラのようだった。
そして、定石どおり身体を壊した。
私は社会に適応した自分から、たった五年で放り出された。
その次の五年間は宙に浮いたまま、哲学に傾倒し、仏教に救いを求めた。そして、私が求めてやまぬものを与えてくれるものは、この世のどこにも無いと気付いた。
今の私には、両方の記憶があり、それなりに思い出せる。思い出せない間、自分がどうだったかも思い出せる。他人との関わりについて、今でもどういうスタンスで臨めば受け入れてもらえるのか判らない。しかし幼い私は病気になれたが、今の私は幼くはない。逃げることにも失敗した私は、もう逃げても無駄だということを知っている。モンスターだった私は、今は特異どころか自分の凡庸さに嫌気がさしている。
過去の私は今の私ではない、とも言える、かもしれない。愛情は記憶の積み重ねだし、守りたい自己も積み重なった記憶だと思う。記憶がなくなれば、情も消える。
乱暴なようだが、机上の空論ではない、経験済みだ。情はしがらみであり、積み重ねだ。記憶をなくせば、趣味嗜好も変わるし、行動パターンも変わる。人格は経験という記憶をもとに形成されている部分が大きく、つまり記憶をなくせば人格もなにがしか変わるのだ。
しかし一方で、思い込みや思い違い、嘘でも言い続けているうちに現実と区別がつかなくなり、想像が記憶と混じって曖昧模糊とし、かてて加えてヒトの脳は幻聴や幻覚など簡単に作り出せるのだ。記憶なんて、そんなものだ。日本の地盤のほうがまだ動かないというくらい、ふわふわとした信用できないものだ。繰り返すが、この手のモノは厭というほど経験した上での主張だ。
そんなものの上に形成された人格。
守るほどのものか?
「変わらなきゃ」? 保つことも難しいのに?