「なぜころ」補足

以前の記事の補足。
殺人を禁じる法律ができたのは、多分、類推だが、「殺し殺される環境ではおちおち安心できないから、しないことにしたほうが好都合だ」と思った人が多かったからだろう。自分が殺されたくないから、お互い殺しはナシにしましょう、ってことだ。
でも、多分、おそらく少数派だろうが、本気で「殺し殺されてもいいのになぁ」と思っている人もいるんじゃないかと思う。あと、刑事罰については監禁されても飯がまずくても首を吊らされても、別に平気、という人がいたら、罰にならない。却って働かなくても喰えてラッキー、本は読み放題だし極楽ぅぐらい思っているかもしれない。社会的制裁についても、他人になんと思われようと仲間外れにされようと、本気でなんとも思わない人だったら、歯止めにはならない。仮定だけど、人って色んな人がいるから、否定はできない、と思う。
今の暴力団の人は知らないけど、昔の極道と呼ばれる人たちの思想だと、法律なんて屁でもないし、身内は大事だけど赤の他人が何を言おうと気にしない。
ただ、前後不覚だろうが心神耗弱だろうと狂信的な思想を持っていたとしても、殺してもらっちゃ困る。皆が皆、全員で守らないと意味がない。殺しちゃった人間は一律で裁かないと、大多数が支持するシステムが維持できないから、法律ってものが出来た、と推測する。
だから「何故?」と訊かれたら「法律があるから」としか答えようがない。
だって、訊いてくる人が私と同じように、刑は厭だし、親戚に累が及ぶのもナンだし、相手も可哀想だし、と思うとは限らない。そんで同じような罪悪感を持っているとも限らないから、感情に訴えるのはあまり意味がない。という結論。

追記

どこにトラックバックを送れば判りやすいのかよく判らないので、とりあえずid:michiakiさんのところからひっぱってきてる話題ですよ、と書いておこう。