スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ピルグリムは、自己の生涯を過去から未来へと往来する奇妙な時間旅行者となっていた。大富豪の娘との幸福な結婚生活を送るビリー‥‥UFOに誘拐され、さる肉体派有名女優とトラルファマドール星の動物園に入れられるビリー‥‥そして、第二次世界大戦に従軍した彼はドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を受ける。そして、人生の全てを一望のもとに眺めるビリーは、その徹底的な無意味さを知りつくすのだった。現代アメリカ文学において、もっともユニークな活躍をつづける作家による不条理な世界の鳥瞰図!*1
裏表紙より
最後の「プーティーウィッ?」で、ふぅっと心を向こう側に持っていかれそうになった。あぶないあぶない。若い頃、特に十代でこれを読まなくてよかった。多感な時期に読んでいたら、一生消えない小さなブラックホールみたいな虚無を抱え込むことになっただろう。
ドレスデンを語る言葉はあまり出てこなかった、と冒頭で告白されている。たぶん、そういうものなんだろう。
しかし四次元になっても人生からは逃れられないのかなと不思議な気がした。作中では時間旅行で行けるのは自己の肉体が存在する時代だけである。人生のあちらこちらに出没しては、短い時間を過ごす。その中で紫色の光が満ちる死の瞬間まではいける。だがその先はない。母の胎内より前の時間もない。
トラルファマドール星人がビリーに助言することになる。幸福な瞬間だけに心を集中し、不幸な瞬間は無視するように――美しいものだけを見つめて過ごすように、永劫は決して過ぎ去りはしないのだから、と。
東洋にはこういうのを表す便利な言葉がある。『諸行無常』というのである。逆のようだが同じことだ。すべては流れ去る。どんな重大なことでも、宇宙の大きな流れの中で不変なものはない。
しかし仏教でいわれるのはここまでである。だからって細かいことに拘るのは虚しいとか、好いとこだけ観てれば善いという指針はない。その選択は個人の理解に任される。もちろんこれは小説であって宗教の指南書ではないのだから、メッセージがあることは別にいいのだが、それがあまりに魅力的なのでこのまま鵜呑みにしてしまいそうになる。この解はかれが獲得したかれだけの解である。傷の痛みに埋没してしまうことはたやすい。しかしそれではあかんと達磨は説く。禅問答は正解はあったとしても、それは他人の解をカンニングできる性質のものではない。自分で辿り着かねば意味のないことというのもあるのだ。南無南無。
死を克服するということは死を恐れなくなるということであるといわれている。生は死の反対物であり、死を意識することがなくなれば生もまた無くなってしまう。色即是空。色とは理である。空とは無ではない。
ヴォネガットの言葉は優しいが、死ぬまでの時間では治るには短すぎるような傷を受けたものの言葉であると思う。そこに漂うのは甘美な諦念ではなかろうか。縁側でお茶を啜る枯れたおじいちゃんの昔話。そういうものだ。