映画:アラトリステ(監督:アグスティン・ディアス・ヤネス)

1622年、国王フェリペ4世に仕える傭兵、アラトリステはフランドルの戦場で勇猛果敢に戦い、マドリードに戻って来た。そこに、「イギリスからやってく異端者を殺せ」という奇妙な依頼が舞い込む。それは、イギリス皇太子チャールズを抹殺しようとする異端審問官、ボカネグラと国王秘書官アルケサスの謀略だった。きな臭い匂いを感じて暗殺を思いとどまったアラトリステは、その後、何者かに追われるように…。

原作はスペインでベストセラーとなった冒険時代小説なんだそうである。いまのところの既刊は五巻という大作なんだが、それを二時間半にまとめている。原作者のレベルテは戦場ジャーナリストだったということで、その経験を生かしてあるのか、この映画では戦場をただ格好良いものとしては描いていない。そこはぬかるみを這いずり回り、雨をよけることも出来ずに長時間ずぶ濡れのまま同じ場所にいて、ひもじくアホのように人が死ぬ地獄のようなところである。ヴィゴ様も当然泥だらけである。うむ、そこが痺れるの。
ある傭兵の一代記のようなものなので、淡々とエピソードが積み重なっていく。ひとつのお話として起承転結があるわけではない。何をドラマチックというか、というのは感覚的に分かれるかもしれない。文学的比喩的な言い回しが謎掛けのようで伏線が判りにくく、みんな似たような黒マントにヒゲ面なので人物の見分けがつきにくいのも確かだ。しかしそれでも全体が動く絵画のように美しい。舞台の大半はマドリードを中心に描かれているのだが、貧乏な傭兵がのんだくれる安酒場や下町の路地は埃っぽく汚らしくも生き生きとして、一方貴族や王族の館や馬車や装束などはそれを覆い隠すように麗々しく整えられている。それが対比となって、両方が嘘のように鮮やかだ。私はこういうのが大好きだ。最後はヴィゴ様のアワワじゃなくてアラトリステの侠気に打たれて胸の前に両手を組み瞳うるうるである。
長大な小説をだいぶ切り詰めているようなので、ストーリー運びが速い。多少予習してから観に行ったほうが良いかもしれない。原作も面白そうなので読みたくなった。でも既刊が五巻‥‥また読みたい本がたまっていく‥‥しかも続編は現在も執筆中だと。
翻訳をされている方のブログがいろいろ面白いのでオススメである。
→ カピタン・アラトリステと歌わない死神
以下、観ててよく判らなかった箇所を後で調べたので書いておく。


時代背景はスペインはフェリペ4世の治世、しかも前半のほうですな。オリバーレス伯爵という人がいて実権を握っていたのは史実。アラトリステの友人として出てくる詩人のケベードも実在の人物で、実際にオリバーレス伯爵を批判したりする過激な人だったらしい。
この頃のスペインは八十年戦争の真っ只中である。もっと詳しくいうと、八十年戦争のなかの三十年戦争。どこの何十年なんだか訳が判らないが、ともかくこの時代は旧教であるカトリックに対し、新教のプロテスタントがじわじわと勢力を増してきている頃で、宗教論争が民族対立に絡み権力闘争を巻き込んでくんずほぐれつしていたんである。そろそろ往時の栄華も翳りつつあったスペインは国力が落ちかけだったし、貧富の差が激しくなり必要なところに金が回らなくなって、兵士の給料もなかなか払ってもらえないという場面もあったな。
宗教絡みではスペインはカトリック超大国であった。しかし南部にはイスラム教徒やユダヤ教徒も多く暮らしていた。フェリペ2世から始まったスペインの異端審問は密告による恐怖政治であり、更には密告者は公表されないので政敵を蹴落とす方便に使われたりもしていて、かなり政治色を帯びたものでもあった。
ところで『スペインの異端審問』と聞いて『レコンキスタ!』と思ったアナタ、はい、レコンキスタキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動の総称ね。イスラーム国家のウマイヤ朝イベリア半島に侵攻したのが7世紀。スペインはヨーロッパの西端なのになんでと思ったが、地中海を挟んで向かい側の北アフリカ一帯に広まったイスラム国家がジブラルタル海峡を渡って攻めてきてたのだ。ちなみに当時のイスラム文化はヨーロッパのと比べて高度だったので、それによってスペインの教育文化技術は洗練されたという側面もある。そこから取ったり取られたり陣取り合戦をしてキリスト教ナバラ王国が出来たのが9世紀、カスティーリャアラゴンが出来たのが11世紀、最終的には15世紀にスペイン王国が建国されるという流れである。そんでこの映画は17世紀。
こんな歴史があるので住みついているイスラム教徒は多かったし、それとは別にディアスポラのなかで南フランスからイベリア半島南部の一帯に移ってきたセファルディムと呼ばれるユダヤ教徒も多かった土地柄なんである。あー、ディアスポラというのは、パレスチナから散らばったユダヤ民族のことね。イスラム国家はまんま陣取り合戦の敵だし、ユダヤの人たちは商才があるがために政治経済的な意味で敵ができやすかった。そんでそれに絡んでカトリックの異端審問が二百年も延々と繰り返されていたのがスペインという国だということだ。
映画の最初のほうでアラトリステがつい助けてしまった暗殺するはずだったイギリスからの客というのは、当時皇太子だったチャールズ1世である。ムスリムでもユダヤ教でもないけど、イングランドにはプロテスタントを保護する国教会があるため、カトリック一辺倒の異端審問官が出張ってくる格好になってたわけだ。
一介の傭兵なのにそんな場面で漢を通してしまったアラトリステは、とりあえず戦争最前線のフランドルへ逃げる。転戦を繰返し、十年ほとぼりをさましてマドリードへ戻ってくると、今度は密輸の黄金を奪取して国庫へ収める仕事を依頼されてしまう。華やかなりし大航海時代のこと、新世界の黄金が出てくるんである。密輸しようとしている人物もスペインの大貴族だが、依頼主はその上を行く国王である。仕事を断るはおろかだが、成否どっちに転んでもヤバイことには変わりない。仕事のついでにちょいと延べ棒をちょろまかしたりしたら、ますますえらいことになる危ない橋である。傭兵なんて格好良いようだが、実際のところ雇用は期間限定か単発だし金はないわ雇い主には逆らえないわ、社会の最底辺層だったんである。
話は変わってアラトリステは戦死した戦友の息子を引き取って面倒をみていて、そのイニゴが一目惚れしたのが小悪魔アンヘリカ。彼女は両親を早くに亡くして伯父のルイスのもとに身を寄せていて、そのルイスが冒頭でチャールズ1世を亡き者にしようと画策した黒幕なのだった。なんで暗殺しようとしたのかはよく判らん。高級官僚だが平民出身である。アンヘリカがイニゴに近付いたのは、伯父に協力して、陰謀の邪魔をしたアラトリステを始末するための足掛かりにするのが目的だったらしい。でもアンヘリカは小悪魔なりにイニゴを愛していたんだな。彼女の『まだ生かしておいて』のひとことで、ルイスに雇われていた剣客グァルテリオ・マラテスタは、好敵手“カピタン”アラトリステとの夢の対決をだいぶおあずけされることになる。
一方、国王が首飾りをアラトリステに贈ったのは、黄金の密輸を止めた報酬だったのか、アラトリステの恋人だった舞台女優のマリアを見初めたから恋人を譲るようにという意思表示だったのか。「次の乗り手が決まったから別の馬を探せ」という言い回しもすげぇな、と思うけども、アラトリステは鈍チンなのか負けん気が強いだけなのか、このやりとりで貴族に剣を向けてしまい、またしても恨みを買うことになる。
這い回る傭兵と、踏みつける貴族。この時代はそれが当たり前だったんである。