映画:アタック・ザ・ブロック(監督:ジョー・コーニッシュ)


悪ガキどもが大活躍してエイリアンから団地を救う。はっきりいってストーリーはそれだけ。しかしアメリカではなくロンドンが舞台というところで目先が変わってとても面白かったんである。種明かしも英国らしいというかなんというか冷静かつドライで明確な理由があって、物凄く納得してしまう。いや待て、相手を殺しちゃうのか?! という疑問は残るにしても、そこらへんは余白でいろいろ理屈を考えられなくもない。話を変に大きくせず、金属バットや花火など手に入るものでドンパチ工夫してるあたりが楽しい。大仰な天才児もでてこないし、みんなタフなだけで当たり前の子どもたちである。
それはそうと、背景を知ると3倍楽しめる映画だったと思う。調べてみると現在のロンドンの公営団地の状況は政治経済を抜きにしては語れないようだ。ヨーロッパの都市はだいたいそうだけど、ロンドンも階級社会でクラスごとの地域の住み分けがある。1960年代から建てられた中高層住宅にはワーキングクラスが多く入居していた。しかし70年代にイギリスの製造業は急速に衰退する。そのため公営団地には失業者があふれることになったのだそうな。それを救うための社会保障制度などの高福祉政策が打ち出された結果、勤労意欲をなくし福祉に依存する人間が増え、いわゆる『英国病』となっていった。映画の中でもいい大人が働きもせず大麻を栽培してゆうゆうとしていたのはそういうことなんだね。
経済が停滞したまま時代が推移し、子どもたちは親が働いてなかったり給料が安かったりちょっと困った状態のまま大きくなる。貧困は治安の悪化を招き、治安が悪化すれば子どもたちものほほんとはいていられず、早く大人にならなければならなくなる。現在の悪ガキどもはさらにその子の世代である。悪さはスパイラルを描き、警察とは逃げるものであって味方ではないし、政治は金持ちのものである。自分らの面倒は自分らでみなきゃしょうがない。実にタフでしたたかな悪ガキ集団の出来上がりである。とはいえ、ベーシックインカムのような生活保護制度があるので食うや食わずの貧困状態ではないせいか、本気で悪辣なギャングにはならない。あくまでタチのよくない悪ガキなんである。
厳密に規定があるわけじゃなくとも住んでる場所も職場も違うため自然と階級ごとにコミュニティが形成されることになる。アンダークラスに生まれた人間は上のほうの階級とはあまり交流する機会がない。発音を聞いただけで相手がどのクラスの人間か判るというのはよくいわれるけど、映画の中で話されるガキどもの言葉は特に破裂音が強調されてて、いかにも悪そうにカッコつけているのが面白かったな。
そういや「時計じかけのオレンジ」も公営団地の悪ガキだけど、あれは生活のための労働から解放されたディストピアの話なので貧困とは関係ないのだな。でもちょっと公営住宅をとりまくそんなこんなとイメージをダブらせているような気がしなくもない。