冬の夜道


ねぇ、キミ、お腹が空かないかい。
ああ、空きすぎて下腹が痛くなってくるくらいさ。
しんと空気が冷えている。駅を出た人の波は間隔をあけた長い数珠繋ぎになって行列を作る。形は少しずつ違うものの申し合わせたようにみな黒い上着なので、列は影のつらなりとなって粛々と進んでいく。誰もがひとりで黙り込み、相互不干渉の不文律を守り合う。幽霊の葬式のようだ。街灯が白く煌々と照っている。曲がり角がくるたびに、隊伍からひとりずつそっと抜けたり抜けなかったりする。しかし減ることはあっても増えることはない。
前の千鳥足を抜かして脇道へ入る。こう寒いと野良猫もいない。影に沈んだ路地を抜け、急な階段を登って丘の上に出ると、頭上が広くなった。明日は雪か雨の予報だ。曇っているせいか暗く白く光る夜空を背景に、大きなプラタナスの裸木が影絵のようにポキポキと浮かぶ。空気が冷たいとはいっても、これくらいなら雪にはならないだろう。駅でふいに話しかけてきた人物はいつの間にか鳴りをひそめている。
今度の奴は新型だったな。
降ってわく声には慣れている。こんな夜道でよく毒にも薬にもならないようなことを云い掛けてきて、構おうが構うまいが煙のようにすぐに立ち消える。夢のあぶくのようなものだ。このちっぽけな脳のどこの抽斗から出てきたのか、あの落語のような喋りっぷりを思い出しては可笑しくなり、にやにや笑いをかみ殺しながら熱い風呂に入るために家路を急いだ。そろそろ連日の深夜帰宅にも目途がつくだろう。