映画:コズモポリス(監督:デビッド・クローネンバーグ)


しばらく忙しくて久しぶりに観た映画がコレである。いわゆる会話劇で観ている間中、リムジンとはいえ狭い車内での訳の判らない御託を延々聞かされるのだが、これが胃が痛くなってくるほど不快だった。しかし観終わってから妙にじわじわくる。ひょっとしてもしかしてラブストーリーだったのか、としばらくたってから気がついた。
立ち上がることもできない閉鎖空間で、外で暴動が起きても防弾仕様の車内は多少揺れるだけでなんともない。一日中車に座っているエリックのもとへ様々な人物が入れ替わり立ち代り訪れ、様々な会話をし健康診断も情事もトイレもその中で済ませてしまう。原作は読んでないけど文学作品ということなので、解釈するならこけおどしのサイバーなリムジンがエリックの殻なのだろう。
政略結婚したばかりの妻は上流階級出身で、決してエリックのリムジンの中に入ろうとしない。会うにはエリックが外に出て行くしかない。食事に誘い会話をし自分を評価させようとし配偶者としてセックスを要求するが、女は礼儀正しい態度を崩さず木で鼻をくくったような返事しかしない。そして弱みを見せた途端に間髪入れずに金銭的な援助と引き換えに破談を持ちかけてくる。これは弱みを見せたから切り捨てられたわけではないのね。金は持っていても使い方を知らず、マニュアル通りの条件通りでは人の心には対処しようがない、それが判らないおバカさんだからなのだ。女は好機が訪れるのをじっと待っていて、投機の失敗は材料にされただけ。実に上流階級らしい処世であり、彼女のほうが数段上手だ。
数学的なチャートに単純におさまりきらず予想できないもの、それは〈元〉に象徴されるアジア文化圏の動きや恋愛感情や人間関係のような混沌としたものである。
エリックは貧乏育ちの坊やなんだな。金儲けの才能はあったけど、スマートな処世術を学べるような環境では育っていない。それは明らかに彼の将来にとって弱点でありプレッシャーでもあった。殻を捨てようともがき身につけているものを1枚1枚脱ぎ捨てながら辿り着く先で出会うみすぼらしい男は、かくあったかもしれないもうひとりの自分であろう。壮絶に隣の芝生は青いのである。そして衣服を脱ぎ捨てながら辿り着くのは地層の下の奥深くにある冥府と相場が決まっておる。
こうして他の部分も何が何を象徴するのか考えていくと、無茶苦茶に見えたパーツがピシッと揃って見えてくる。そんな変態な映画であった。