弱っているのかもしれない

このごろネットを見てると身体が重くなるようになってきた。怠くて食べ終わった食器を下げるなどの日常の雑事すら億劫になる。画面に集中していると脳みその決まった領域だけ使っていれば事足りる感じで、その他の部分が鈍くなるような。画面の向こうに広大な世界が広がっており、そこに吸い込まれる、だけど実体としては物凄く狭い範囲だけで対応しているのでバランスが損なわれるような。実生活なら身体を動かしているうちに紛れてどうでもよくなるような内容でも、ネットでは文字に抽出されて純度が高くなる摩擦。純粋なヘイトスピーチ。厭なことがあって怒った話。こんなのはダメだという話。
うちにはテレビがない。科学番組やドラマやアニメは好きだ。しかしそれを上回るほど厭だったのが、ワイドショーは言うに及ばずニュースに取り上げられる負の情報だった。ニュースになるということは人の耳目を集める事件ということで、必然的に災害や殺人事件など痛ましい出来事が多くなる。ニュース番組でも繰り返し繰り返し詳細が伝えられる。ワイドショーがそれに厭な尾ひれをつけ犯人の人格否定にオトして彩る。そのコンボに日常的に曝されるのが厭になった。負の情報自体に触れたくないという意味ではない。それを弄り回し、笑いものにし、ほじくり返して責め立てるようなあり方がどうも合わないのだ。美しくない。だから捨てた。心が安らかになった。
自分もその汚い悪趣味な人間のひとりで、ゴシップやヘイトにも惹かれるし、つい読んでしまうというのはあるのよな。しかしその沼にどっぷりはまってしまうと、実際に日常が侵される。こういうときは他人の醜さを見ているのではなくて、それを呼び水に増幅された自分の中にあるものを凝視しているんだよな。惹起された自らの恨みつらみで全身が重い。このままではまずい。人生が充分ハードモードなのでネットでまで修行することはない。訪問先は厳選し嬉し楽しをきゃっきゃうふふしたら、ブラウザを閉じて家事や勉強や趣味にいそしむことにしよう。桑原桑原。