日本料理 空海 @横浜関内

年に一度の大盤振る舞いの季節である。今回のリクエストは「蛤」。そろそろネタ切れになってきてお題を出すのも苦しい。それに対して熊が探してきたお店は横浜は関内にある割烹料理店『空海』だった。

雨の降る中を訪れたのは空海本店である。

掘りごたつ形式の個室に通され、あったかいおしぼりでとりあえず落ち着く。

本日のお品書きはこんな感じ。さあ、いってみよう。

食前酒と冷し吉野葛と昆布押しぼたん海老。キャビアが乗ってるよ!

和食なので日本酒でいこうということになり、最初は花邑だっけっかな。華やかな香りと後味の残らない飲み口のいいお酒だった。

お造りは氷がぎっしり詰まった皿がデカい。あと伊勢海老の触角が長くてフレームに収まらない。もちろんピコピコ動かして遊んだ。中身は伊勢海老のほかに鰹、しめ鯖、鮃、中トロ。いま気づいたがあれで中トロ? 大トロじゃなかったのか。じゃあ大トロってどんなんだ。もっと脂肪の塊なのか。

ビシソワーズはホワイトアスパラとじゃが芋。貝柱が入っている。

ここで酒を久保田の紅寿の四合瓶に切り替え、万全の態勢で臨む。

と、ここで今回のお題である蛤の乱入である。なんでもコースには蛤が入っていないので別で頼んでおいてくれたのだとか。

ぷりっぷりである。口に入れると弾ける程よい弾力に「縄文人も満足」と訳の分からない喜び方をする私。美味しゅうございました。

メインは和牛のシャトーブリアン。スティック野菜のソースがマヨネーズに海苔がたっぷり入っていて美味しかった。

シャトーブリアンが何のことかよく知っていないのだが、異次元な脂と旨味に思わず断面を撮ってしまった。

そして毛蟹である。うちのほうでは毛蟹は貰うものだったので、お店で食べたのは20年前の社員旅行以来だったかもしれない。ふたりして黙々と身をほじる。

きんき藻塩焼きと北寄貝から盛り香り焼き。貝にはさりげなく松茸が混ざっていた。大物が続いたのでここで酒を飲みつつちょっと落ち着く。貝の下に敷かれたあら塩を舐めながら飲んでいたのは内緒だ。

冷し鉢はフィサリス(食用ほうずき)、葡萄、キュウリ、ウド、そしてまるまる1個分の鮑である。掬っても掬っても鮑。舟形の器と立派な鮑と店名で、そういや空海上人が乗った小舟に穴が開いたときに船底に鮑がくっついて助けたなんてぇ逸話があったなぁ、などと酔っ払いながら思い出していた。あと、ほうずきって初めて食べたけど独特の香りがあって美味しいな。

お食事はお寿司、お椀は伊勢海老。伊勢海老推しだなぁ。でもうまい。

水菓子はマスクメロンだった。あったかいお茶でお腹も満足である。
これでもかというくらいの高級食材の乱れ打ちであった。ここまでくるとちょっと笑える。ええ、美味しゅうございました。ご馳走様でした。



誕生日プレゼントにはティンバーランドの完全防水ブーツを貰ったよ。ありがとうありがとう。


日本料理 空海 本店  公式ホームページ

最近は元気

帰宅してからサプリ類を飲むようになったら、朝イチの寝起きで頭が元気に回るようになり、何故か早朝からtwitterでぶつぶつ呟くようになってしまった。呟くくらい良いんだけどさ。別に四六時中、面倒臭いことを考えているわけではないです。仕事中は相変わらず脳みそにハエがとまるくらい鈍い。
サプリ類で強制安心ドーピングがキマってきたので、次の段階として軽い初心者筋トレを始めてみた。身体がピンチのときは筋肉を分解して凌ぐので、地獄の現場の間にかなりのレベルで筋肉を消費してしまっているのと、整体などに行くと筋肉が固すぎてヘタに運動すると怪我をする、マシンでウェイトを掛けるのは止めたほうがいいとアドバイスされているので、本当に初心者対応のスクワット・壁プッシュアップ・腹筋・背筋のみを少しずつである。緩やかな有酸素運動はとにかく体質に合わない。歩くとただ疲れて浮腫みが酷くなるだけなのだが、短時間での筋トレだといきなり次の日から元気になるので余程向いてるんだろう。薄々わかってはいたが、筋トレするのが面倒臭くて避けていたのである。そして始めてからもサボりたくて仕方ないので「筋肉痛になれば休める」を目指しているのだが、なかなかならない筋肉痛。
それとは別に、全身が異常に固いのは筋肉がロックしちゃってるから、という知らない人にとっては「なにそれ?」な原因が考えられるのだが、本当にするのよ、ロック。収縮したまま戻らないの。このロックの解除方法に一度その筋肉にギュッと力を入れて抜くというのがあるのだが、筋トレってのはまさしくこの動きなんだな。長いこと固くなったままなので一朝一夕に治るわけではないのだが、少しずつ尻ぺたの筋肉の痛みが引いてきた気がする。前にやったときはまったくそんな効果は感じられなかったどころか逆に筋肉が引き攣っていたので、今回のサプリドーピングで強制的に身体を安心させてからの筋トレだから効いてるんだろう。
筋トレがすべてを解決する。でも筋トレめんどうくさいんだよな〜。

最近見た映画3本『ジュマンジ』『ピーターラビット』『犬ヶ島』

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル(監督:ジェイク・カスダン)


ゲームの中に入り込んで冒険を繰り広げるのだが、最近流行の『異世界転生』とは似て非なるものである。ロック様主演のコメディいい話お気楽ムービーなのだが、『イケてる女子高生がデブおやじになってしまった』という設定のジャック・ブラックの怪演を見るだけでも一見の価値がある。これがだんだん可愛く見えてくるから俳優ってすげぇ。

ピーターラビット(監督:ウィル・グラック)


野生のウサギ v.s. 人間のバトルムービーである。基本は絵本の世界らしいいい話に収束していくのだが、途中経過がなかなかブラックでさすがイギリス映画というところである。あとウサギが戦うといえばアレか、『Cat Shit One』か。

犬ヶ島(監督:ウェス・アンダーソン)


日本を舞台にしたのは文字も言葉も文化も特殊な遠い国だからなんだろうが、映画の構造上「意味の分からない言葉」として処理されるべき現地語も、当の日本人にとっては全部意味が取れてしまうので情報量がハンパなく、しかもどこが「意味の通じる言葉」として扱われていてどれが「よく判らない言葉」だったのか、全部日本語(字幕もあり)になってしまうので映画を見ながら判断していかなければならないという、かなり煩雑な処理を強いられて脳が過負荷で熱暴走を起こしそうになった。しかしレトロフューチャーなトンデモ日本というのは見ていて楽しいな。俳句はああいう感じで「意味分からん」と思われてるんだなー、一本締めのタイミングもなんかおかしいけどあんなイメージだよな等々、一周回ってげらげら笑えるのは逆に現地人の特権だったかもしれない。純粋に映画としてじゃないかもしれないが、かなり面白い体験だった。あ、あと犬たちの病気のことを「ドッグ病」と吹き替えられてたけど、地の日本語では「犬インフルエンザ」だったよね。

ブラックホール根源説

たぶん、若いころと時間の感覚が違ってきてるんだな。より自分がゆっくりになって、日が経つのが速くなる。休憩時間が足りず疲れが取れないうちに次のターンに入らなければならない。1日24時間と決まっている天体の運行に合わせて生活するのがしんどいのだ。1日に3食も食べるとなると1回終わったと思ったらすぐ次の回の準備しなきゃならない気がする。風呂もそうだ。毎日繰り返すには手間がかかりすぎる。
こういう体感は体力に直結しているので、ひとつひとつの動作が大義になればなるほど所要時間が引き伸ばされる。いまなら1日が30時間くらいあれば余裕をもって行動できるだろうし、もっと体力が落ちたら36時間くらいになり、42時間になり、と1サイクルがだんだん伸びていく。
年を取ると時間の流れが速くなるとはよく言われることだけども、こういうことだったのか。生命の終着点は近づくほどに時間が引き伸ばされていくブラックホールだったのか。

悩みの続き

昨日の話の続きをtwitterでぶつぶつ言っていたので、こっちにも書いておく。
とどのつまり、日々の繰り返しのルーチンが賽の河原で積む小石に見えてきてるんだよな。流れる川の中で一定の位置をキープするには泳ぎ続けなければならないように、現状を保つためだけでも労力がいる。それがどうも納得できなくなってる。自分でも意味わからんけど。
これ、川底にアンカー打って係留すればよくね? そういう方法があるはずなんじゃないの、と心のどこかで思ってる。この生々流転に対抗するエネルギーを比喩的アンカー&ワイヤーに負担させれば、自分のエネルギーは温存できるんじゃね? みたいなことを考えているというより、漠然と感じているのだ。世の中の法則として当然予想されることで、むしろなくちゃおかしいんじゃないか。そろそろ開発されててもいいんじゃないか。
しかし有機生命体である以上、エネルギーを出し入れしながらエントロピーの崩壊を待つのが宿命なので、それを止めたら生命体ではなくなるんだよな。別に死にたいわけではない。有機生命体であることを止めたいだけだ。というとどうも不穏だが、私が私であることを止めるつもりも、これまたなかったりする。自分がどうしたいのか、何を目指しているのか。目標が定まらなければどっちに泳ぎだしたらいいのかも判らん。電子の海か? それとも悟りの時空なのか?

最近の悩み

生活していくうえで、繰り返すこと自体が肝要なことがある。1日に1〜3回程度に分けて口からエネルギーを補給することや、1日に1度程度は身体を洗浄すること。それと掃除・洗濯・炊事・生活用品の仕入れ・出納管理といった細々としつつすべてが有機的に繋がってくる家事と総称されるような物事である。
最近、この繰り返すことへの回答がよく判らなくなってきている。
必要性ということであれば、極論は食べねば死ぬ。それに百年前ならいざ知らず、今は臭気等を発さない程度の衛生状態を保たねば社会生活者として欠格になってしまうということが挙げられる。それは判っている。もう少し現実に即したレベルでも掃除をすればすっきりし、美味しいご飯を食べれば楽しい。風呂に入れば気持ちが良くて、必要な手続きをしておけば後が楽になる。だからこそ人目につかない自室内の整頓状況などは自分が良ければ後回しにしても構わないわけだ。いままで充分に自分の面倒を見る時間はあったし、それが当たり前としてそれなりに手を抜きつつもやってきた。
そういうことではなく、目の前の作業を遂行することで得られる回答がよく判らなくなってきたのだ。クイックルワイパーのシートは常備しておかねばならないし、掃除機をかける前にも埃をはたいたり床の上にあるものを移動したりとなにかと手数がある。30分かけて作った食事は10分で食べ終わってしまう。遊ぶにも切符や宿の手配くらいは事前に計画を立てて手配しておかねば遊べない。洗剤を切らせては掃除も洗濯もできないし、風呂に入るには風呂掃除をしてお湯を張るほかに、排水溝に溜まった抜け毛を排除してときどきカビキラーで大掃除しなくてはならない。
そういった楽しむためや保つためのコストに対して得られるものの満足感が割に合わないような気がするのだ。平たくいえばいろんなことが億劫だ。食べるのが毎日じゃなくて済むと非常に楽になれるのだが、やっぱり腹は減るのでそうもいかない。生活とは面倒なものだな。

GWは市原ぞうの国とさゆりワールドへ

市原市にあるそうの国とさゆりワールドへ行ってきた。前回は2014年だったので4年ぶりか。

金網の向こうの草が食べたい。

何故か数珠つなぎ。

キリンのジョギング。

餌箱の下になんかいる。

チビしっぽしましま先生がいた。

カピバラ詰め合わせ(緩衝材入り)。
前回よりお客さんが多かったようで、入場規制がかかっていて入るまで20分くらい待った。
しかし横浜からだとアクアラインを通る高速バスが一番便利なわけだが、GWとあって渋滞に嵌ると現地にいられる時間が短くなるのだった。入園料がそれなりかつ2園別料金なので両方回るとコスパが悪い。ずいぶん前に富士五湖あたりに行ったときにも思ったが、世の中が休みの時にバスで行楽に行くのは宜しくないな。