読了:「光の王」(ロジャーゼラズニイ)

光の王 (ハヤカワ文庫SF)

光の王 (ハヤカワ文庫SF)

ゼラズニィヒューゴー賞受賞長編。
遥かな未来、人類は地球から遠く離れた惑星にインド神話さながらの世界を築いていた、と裏表紙に書いていなかったら、読みはじめでSFではなく歴史ファンタジーと勘違いしたかもしれない。先を読めばもちろん設定なんかも判ってくるんだけど、最初はインドの山奥なのかと思ったよ。


第一世代植民者が科学技術を独占して神を名乗り、人里離れた極地にドームで覆った<天上都市>を建設し、この世の春(常夏だそうだが)を謳歌している。一方で民衆は産業革命前くらいの生活レベルで暮らしている。
自然発生的にあちこちで印刷機や自転車などのテクノロジーが「再発見」され、神々はそれを潰して廻る。徳のない民衆が技術をもつと破壊行動につながるから、という神の言い分に対し、「シッダルタ」「仏陀」「サム」「彌勒」「束縛者」などと様々な名前で呼ばれる男が戦いを挑む。
この色んな名前で呼ばれる男(もとは「カルキン」なのかな、作中では「サム」が多いけど)も第一世代のひとりで、望めば神のひとりにもなれる立場なんだけど、他の神々のように屈託なく特権を享受できなかった、ということらしい。


面白いのが輪廻転生を科学技術で可能にしちゃってるところ。入れ物の肉体を工場で培養していて、元の身体が齢をとったら精神移転装置で入れ替えられる。
それは神々も一般民衆も同じで、民衆の場合はひとつの生の間にどれだけ徳を積んだか=神殿にどれだけ祈ったかを生涯にわたってカウントされており、それによって次に与えられる肉体のレベルを決められる。入れ替えの際に精神分析機にかけられて、政治的な不満分子はここで選抜されて畜生にされる、つまり犬や猿の肉体に魂を入れられるか、「真の死」を与えられる。そうでなくとも不慮の事故やなんかで、次の肉体に移せない状況で肉体が死んでしまうと、もうその人は終わりで転生できない。そういう死を「真の死」とこの世界では呼んでいるんだね。
逆に徳を積んだ人は転生ごとにカーストをステップアップできるので、いくつかの生を我慢すれば性別も自由にできるし、いつか神になって<天上都市>に住むことだってできる。
神々の超常能力は輪廻を繰り返すうちに、ある意味訓練の賜物で身についているようだし、そもそも「ブラフマン」とか「ヴィシュヌ」という神の地位は、入れ替え可能な役職であって唯一無二の存在ってわけでもないらしい。面白いが、頭がこんがらがってくる。


「カルキン」は便宜的に神に対抗する手段として仏教を選び、結果として「仏陀」とか「正覚者」とか呼ばれたりしているけども、実は本人は教義を知識として知っているだけで(第一世代なので地球文化の知識がある)悟りを啓いたわけでもなんでもない。
でもその教え自体は本物なので、やがて弟子の中から本物の「正覚者」が出てきてしまう。本物は師匠である「カルキン」の宿敵と争って命を落とすんだけども、後になって思うと彼はニルヴァーナに行けたってことなのかしらねぇ‥‥なんか‥‥違う気が‥‥ぅう〜ん??


ま、まぁ、多分そんなに深読みして考え込まなきゃならないような、ムヅカシイ作者じゃないと思う。
最後はインド神話と仏教とキリスト教の三つ巴だし、ちょっと毛色の変わった豪華な感じのアクション満載、異文化情緒たっぷりなエンターティメント。ちょこちょこ細かいユーモアも効いていて面白かったっす。