読了:ペドロ・パラモ(フアン・ルルフォ)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモという名の、顔も知らぬ父親を探して「おれ」はコマラに辿りつく。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町だった…。生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する前衛的な手法によって、紛れもないメキシコの現実を描出し、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作。

改めて南米小説というものを読むのは初めてだったのだが、なんだか物凄いものを読んでしまった気がする。
前半部は迷宮の中に彷徨いこんでいくような、生者と死者のあわいに潜りこんでいくようないつまでも終わらない悪夢のような断片の連続である。母が亡くなり、貧しい「おれ」は母の生まれ故郷へやってくる。自分たちを捨てたペドロ・パラモにいままでの償いをさせろと母に遺言されたからだ。しかし旅の途中で道連れになったアブンディオは、自分もペドロ・パラモの息子だしその男はとっくに死んでいると伝える。出だしから死の匂いが漂う。寂れた街角は渇き、砂埃の向こうから死者が過去を語る声が聞こえてくる。出会った人々は様々な境遇を嘆き、それでいて一様に無気力で人間の規範を踏み外してしまっている。司祭に助けを求めるも、身体を震わせ「人間らしく生きることだ」と吐き捨てられ去られてしまうほどに。そこにはラテン独特の底の見えない自堕落さがある。
彼誰時のようになにか見えるようで遠近感が狂っているようなもどかしさが続いたあとに、突然雲が切れるようになにもかもがはっきり見えたときには、詰まっていた息が急に出来るようになった気がした。その中で狡賢いやりかたで町のボスに成り上がったペドロの生き様と、その悪党ペドロが焦がれたスサナとのかみあわない愛の顛末が続く。
読んでいるとじりじりと泥沼の底に引き込まれながら、しかしそれがねっとりとした快感を伴っているために抜け出せないというような気分になってくる。簡便な文章でありながら、窒息しそうなほど濃密な小説であった。