映画:リトル・ランボーズ(監督:ガース・ジェニングス)


繊細で複雑な映画であった。
素直でくりくりに愛らしい少年ウィルに対し、スレた悪たれのリーは頭の回転が速い子どもらしさがリアルである。この対比がいいのだな。ふたりの共通点は父親がいないことである。
ウィルの家族はプリマス同胞教会という戒律の厳しい宗派に属している。テレビも禁じる保守的な清教徒会である。学校一の問題児であるリーは、母親が育児放棄して再婚相手と海外へ行っているため、年の離れた兄と気ままな毎日を送っている。
リーと知り合いその家へ行ったウィルは、そこで初めて目にした映画『ランボー』に、純粋培養された素直さとまっすぐな情熱でもって夢中になるのだ。
ウィルの聖書には落書きがびっしり書き込まれ、どの本もノートにも隅にぱらぱらマンガを書き込んでいる。秘密基地のような崩れかけた納屋の中も彼の作品でいっぱい。学校でいつも入るトイレの個室の壁には、少しずつ描き足したのであろう細々とした絵がぐるりと取り巻いている。便座に座るとちょうど頭の回りに絵が取り巻いているのが、なんだか宗教画の後光のような、はたまたひとつの銀河のようだった。彼の小宇宙は厳格で素朴な生活習慣の枠に収まりきらないのだな。母親は心配しながらそんな息子の様子を見守っている。
ウィルとリーはそれぞれ親や兄に内緒で自分たちの映画を撮り始める。ウィルは映画という娯楽そのものがご法度だし、リーは黙って兄のビデオカメラを持ち出すリスクを負うのだ。秘密の共有というのは、互いの結びつきを強固にする。そうした水入らずの関係に、おかしな交換留学生が絡んできて微妙な空気を醸し出す。友情と関係の変化とそれを受け入れる苦さのようなもの。家族を巻き込み道を模索する少年の成長する痛さのようなもの。かっこいいことばかりではないけど、本気で遊んで本気でケンカして、痛みも苦しみもダサさも自分で引き受けてこそなのだということが柔らかな色彩で綴られる。
6年生専用の娯楽室も頑張っていかがわしくて楽しかった。