禁煙はじめました

前回のタバコを吸ってからそろそろ1ヶ月になる。
喫煙というのは間歇的な行為だから、吸うのを止めるというのはそぐわない。吸うインターバルを広げるというべきだ、と何かの本で読んだことがある。そのときはなるほどなぁと思ったものだった。しかしそんな屁理屈のとおりにあっさりとスマートに禁煙できるかといったら、そうは問屋が卸さないのが中毒というものである。
「タバコ吸いてぇ〜」と思い始めたら、もうとにかくなんとかして吸ってもいい理由を捻り出そうとするのがニコチン脳である。吸ってるところを想像したり、頭の中で誰かに貰いタバコをしようかと算段を始めたら、無意識のうちに身体がニコチンを求めているサ・イ・ンである。そんな自分に気づいたら、無理せずニコチンガムを噛む。ここは我慢しない。
ところでニコチンガムで余計にニコチン中毒になるという意見もあるようだが、私の場合はまったくそんな気配はなかった。別に気をつけていたわけではないのだが、1日目は5個、2日目は4個・・・・というように順調に使用数が減っていき、最後のほうは1個では多いから半分に割って噛んだりして、だいたい1週間でガムも必要なくなったのだった。しかし、生物学では「絶対」ということはあり得ない、というギャグなのかパラドックスなのか判らない言葉があるように、人によってはタバコが吸えないとなったら代替のガムに依存してしまうこともありえるのかもしれん。ただ、ニコチンガムは口の中がとても荒れる。3日目くらいからは口内炎に悩まされた。ニコチンって身体に悪いんだなというのが如実に判り、そのせいもあって早々に縁が切れたのかもしれない。
禁煙のことを経験者のひとに話すと、「太らないように気をつけて」と「そのうちタバコを吸う夢を見るよ」とよく言われる。
太るのはもう、口にするものすべてが食事のたびに衝撃を受けるほど美味しくなるのもあるが、全身が健康側に振れて消化器官も吸収率が上がっている感じなので、体調が安定するまである程度は諦めるとしよう。それにしても夢は見るだろうなぁ。喫煙っていうのは中毒だとか身体によくないのは確かだとしても、吸えば脳に快楽物質が出る気持ちいいことだものな。一度覚えてしまったら、やっぱり夢くらい見るだろう。と思っていたのだが、不思議といまのところまだ夢にタバコは出てこない。
心肺機能もすっかり向上し、自転車に乗っていても息があがるより筋肉に乳酸が溜まるほうが早くなってしまった。全然ゼィハァしないものだから、ちょっとやそっとじゃさっぱり運動した気にならないという本末転倒なことになっている。


実は最後の1本が残っている。

残そうと思って残したわけではないのだが、やめるタイミングでたまたま余ってしまったのだ。
身体からはもうすっかり毒素は抜け去っているので、いまさらこの強いタバコを吸おうったって吸えやしない。こんなん吸ったらひっくり返ってしまう。しかし20年来、ほぼ毎日欠かさずこの銘柄を愛してきたわけである。何故か残ってしまった最後の1本だ、なんの記念だか判らないが樹脂コーティングでもしてとっておこうかな。
正直なところまだタバコが欲しいと思う瞬間はある。気分的な寂しさ物足りなさは、たぶんこの先もしばらく続き、しかしその間隔がしだいに広がっていって、いつの間にか霧散していくのだろうな。