読了:『雪』オルハン・パムク

雪

1990年代初頭、トルコ北東部の地方都市カルス。雇われ記者の詩人Kaは、イスラム過激派によるクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれ…。

半年も前に読み終わっていたのだが、なにをどういっても白々しくなりそうで、感想を書きあぐねていたのだった。オルハン・パムクイスタンブル生まれのトルコの作家である。ノーベル文学賞もとっている。
舞台は現代のトルコ、カルスという田舎町。政治亡命していまはフランクフルトに住んでいる詩人Kaは、新聞社の取材という建前で故郷のトルコを訪れる。イスラムの頭髪を覆う布(チャドル)を脱ぐことに抵抗して自殺した少女たちを追いかけているように振舞う。しかし本当の目的は結婚するべきイペッキという女性と知り合うため。
読んでいて煙に巻かれたようになるのが、この本音の見えない『振舞い』である。政治的立場の意思表示にもなる日常的な『振舞い』、女性を手に入れたいがための打算的な『振舞い』、詩人として尊敬を集めるための『振舞い』。
そこへさらに主人公が詩人であるためか、散文詩のような文章が被さり、目の前が攪乱される。本当の目的や本音の言葉は巧妙に隠され、事象が突然降って湧くように牙を剥く。窓の外には雪が降り、人々の泥だらけの足跡や流された血も覆い隠す。自殺した少女達のそれぞれの事情を調べてみると、それぞれ暴力にさらされていたり望まぬ結婚を無理強いされそうになっていたりする。しかし自殺の理由とされているのは、「信仰を守るため」である。
詩人Kaの言葉は虚飾が多く、見栄っ張りなのか肉欲すら苦悩に満ちた美しいもののように見せようとする。名前も普通の本名ではなくKaなどと名乗っているのと同じように、彼によって語られることはどうも回りくどくふわふわとしてはっきりしない。彼を介さず語られる、イペッキとその妹、またはイペッキの父や紺青との会話の部分はもっと直裁で乱暴で荒削りだが、臨場感がある。
詩人であるKaにははっきりとした主義信条など、実はない。あるのは温かく安心できる場所への子どものような希求と、それに相反する幸せを恐れる気持ちだけ。しかしそうした素直な自意識は、この政治的な規範が強く一人前の男には立派な父性を求める社会では排斥されかねないほど異様なものなので、文学や亡命者としての立場などを駆使して粉飾し、なんとか誤魔化そうとしているようにも見える。


イスラム社会での生活感や宗教観、経済的な行き詰まりなどは実感として掴みにくい。以前に映画『ペルシャ猫を誰も知らない』を観たときにも感じたのだが、ストレートに物事を言ってはいけないような、どこか得体の知れない制約や恐怖が通奏低音として響いているように思えるのは、単に私が無知だからか。


途中までどうしても乗り切れなくて辛い読書だったのだが、『マタイ受難曲』をヘッドホンで聴きながら読んだら、急にするすると世界に入り込めた気がした。だいたい読書のときは無音がいいほうなので、こんな体験は初めてだ。癖のある訳文には賛否あるようだが、バッハと合わせると途端に詩的になってよかったと思う。