映画:ペルシャ猫を誰も知らない(監督:バフマン・ゴバディ)

ペルシャ猫はそのルーツははっきりしないが、だいたいターキッシュアンゴラペルシャ(現イラン)土着の猫が交配したものらしい。しかし産地であるイランでは、そもそも動物をペットとして飼う習慣がなく、ペルシャ猫がヨーロッパでショーキャットとして珍重され猫の王様などと呼ばれていることなどは、逆輸入的に知られるようになったのだという。現在は西洋化が進み犬猫を飼う人も増えてきているものの、動物は不潔なものとされていて外に連れ出すのは歓迎されないらしい。また、猫は家の奥で可愛がられていても、犬を飼うのは反イスラム・ヨーロッパかぶれのように看做されて風当たりが強いとか。
映画はイランの厳しい規制に埋もれたミュージシャンたちのセミ・ドキュメンタリーである。主人公の男女2人はバンドをやりたがっているが、なかなか当局の許可が下りない。音楽を演奏するにも規制があり、反イスラム的と判断されれば許可されないのである。ロックは反骨精神などというが、世間の目などという曖昧なものではなく、行政が許可証を発行したバンド・曲でないと音源を売ることもライブをやることもできない。違反すれば容赦なく逮捕され、拘留される。
そうした閉塞感から国外へ脱出したがるミュージシャンが多いらしい。主人公達もとにかく国の外へ出るために、パスポートやビザの手配に奔走する。そして一度出たらほぼ戻れないようで、出国する直前に家族や友人達のまえで一度だけでもライブをしたいと目標を立てる。国外脱出を決めてからライブ当日までの様々な手配やバンドの人集めのドタバタに絡めて、現在イラン国内で活躍している様々なミュージシャンが次々と出て演奏していく。ロックだけでなくメタル、ブルース、ラップ、そして闇クラブまで出てきて、イランの音楽シーンの現実が伝わってくる。ブルースの人は鳥肌が立つような声だったなぁ。才能ある人たちが、国内ではペルシャ猫のようにその価値には見向きもされず、世に出る機会も与えられないままマグマのようにたまっている。
主人公達がしきりに『自分たちのやっているのはインディー・ロックだ』と主張するのだが、はてインディー・ロックとはなんぞやといえば『大衆音楽とはかけ離れた、独創的な音楽性』ということらしく、それだけでは『自由にやりたい』以外は何も説明していないのに等しい。しかしまさしくそれこそが勝ち取りたいもので、そういう状況なのだろう。
出演していたのは本物のミュージシャン達で、その何割かはこの映画の撮影終了とともに国外へ出たらしい。監督のバフマン・ゴバディも同様で、現在はパスポートの延長を止められ、しかし国に帰れば間違いなく逮捕拘留されるとのことで、亡命するしか道がないのだという。