波の谷

相も変わらず辛気臭い話で恐縮だが、停滞期のようで書くことがなにも出てこないんである。念の為に今日の天気の話をしておくと、空は秋晴れ、爽やかな風が吹き抜けるいい陽気である。しかし心はぽっかりと空なる我。といえば聞こえはいいが(いいか?)、当然悟りを啓いたわけでもなんでもなく、空っぽな抜け殻を持て余すだけである。だいたい悟りってのはほげっと頭が休むような状態のことではないらしいしな。むしろ軽々とフル回転するものだという。それにひきかえ私の場合は脳みそがぬるま湯にたゆたっているようなものである。似ても似つかない。ひねもすのたりのたりとオオサンショウウオみたいな緩慢な動きで、しかも同じ回転でも狭い水たまりの中をぐるぐる回っているような。もっとも、オオサンショウウオも捕食の瞬間はかなり鋭い動きをするらしい。両生類にも負けてる。
いつものことだが本もさっぱり読めていない。月に何冊読みますかという質問に、単位が違うのぅ、わしはもう本好きとは言えんのじゃのぅと遠い目になったりする。とはいえ忸怩たるモノがあるのかというとそうでもない。そりゃ往時は活字中毒といってもいいほどで、暇さえあればというか暇を確保してガツガツと読み下していたさ。それも掴みはガツンとガーッと突っ走りドドドッと展開してパッカーン! と解決するような物語が好きで、夢中になって一晩に何冊も読んだこともある。
しかし刺激というのは受け続けているうちに馴れてだんだん物足りなってくるのか、単に集中力が続かなくなった分なのか、読み応えへの欲求もどんどん重く重くなってきて、若い頃には手の出なかった難解で分厚い本を、じっくり時間をかけて転がすのが楽しくなってきたんである。そういう本は速読するには勿体無い。酒もトシをとるにつれて量を飲めなくなってきて、その代わりに個性的で重たいものをちょっぴりだけ舐めるのが好くなってくるのに通じるものがある。社会の中堅にもなりゃそうそう読書の時間もとれないけど、何ヶ月も同じ本を読み続けるのも乙なものだ。時間をかけすぎて前に読んだ部分を忘れてしまうのが玉に瑕だが。ていうか、そもそも読書なんて個人的な楽しみなんだし、他人の目を気にするのも阿呆らしいわな。それぞれの楽しみというだけの、どうでもいい話だ。