奇声を発するしかない訳

トシのせいかそうそう主張したいこともなくなってきている。何かを言えば角が立ち、放言がブーメランとなって帰ってきて自分の後頭部にサクッと突き刺さる。それでなくともあれがキライこれがイヤってのは、だいたいが自己紹介乙だったりすることも薄々判ってきて、ますます下手なことが言えなくなる。やれやれ、なんとも窮屈なことである。
しかしそうすると世間話にすら話題に事欠くようになるのよな。お寒い駄洒落のオヤジギャグというのは、こうした他に何も言えない心境から生み出されるものなのだということが、いまにして判ってきたのだった。
20代の頃は口うるさいクソババァになるのが目標だったが、こうしてみるとどんどん自分を上げるためには大容量の棚が必要であり、また飽きもせずいちいち説教をかますには、倦まず弛まず他人や物事に興味を持ち続ける精神力が要求されるのだ。他の道はないものかと行く末を憂慮するに、薀蓄語れるほど博覧強記じゃないし、それどころか近頃は夢や希望のような漠然としたものにしか食指が動かないなど脳みそがメルヒェン仕様になってきているので、経験をウリにするのも苦しい。益体もヘチマもあるかと、どっかで開き直るしかないんだろうけどな。
不惑までに無からギャグをかませる境地まで達することができるのか、我ながら練度の低さに顔面蒼白の心持ちである。ここもそのうち今日の天気くらいしか書くことがなくなるかもしれん。