なんかする

人への提言に自分の世界を作ること/守ること/広げることというのを考えていたのだが、これって私自身のことじゃないかとふと気が付いた。単に自分がそうありたいだけだ。曖昧で言うのは簡単でやるのは困難で学成り難し。そんな益体もない類のもんちうのはどうも他人様に言いたくなるものらしい。そりゃオノレは関係ないフリをすれば何にもしないで済む上に高尚なことを言ったつもりの訳知り顔ができるわけだ。桑原桑原。言う前に気付いてよかった。
自分の気持ちというのは存外に知覚できないもので、本当は厭だったのに無意識で押し殺し続けた末に心身にガタがくるなんて話はゴロゴロある。逆のベクトルで本当はこうしたいのにというのも他人に投影して初めて見えてくることもあるのかもしれない。だとすると訳の判らない助言がしたくなったら、まず自分がだろ! とセルフ突っ込みを入れてみると面白いかもしれない。
似たようなことでパートナーに要求したくなることは自分でクリアしろ、というのを三十路の自分に課して以来10年、だいぶん生活力はついた気がする。付きすぎたキライもある。是非はともかく既にそんな来し方なのだからこの道を邁進するより仕方ない。次の段階は他人にアドバイスしたくなったら自分がそれをクリアしろ、か。
暇つぶしにやってみるか。